2014年12月28日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  12月29日~12月31日

12月29日(月) 創世記15章1節~21節
  15章には、12章7節及び14章15節~17節で語られていた神の約束を巡って、神様とアブラムのやりとりが記されています。アブラムは、自分に子孫が与えられるという約束がその通りになっていないという不満をダマスコのエリエゼルという名を持ち出して訴えています。すると神様は、アブラムに天を仰ぎ、星を数えるように促しました。現実をきちんと見ることも大事ですが、それだけではないのです。天を見上げることも大事です。約束の証拠を求めるアブラムに神様は契約のしるし(獣を裂くことは、契約違反をした場合、このようになるという事を意味します)を与えられました。ここでは、さらに子孫のエジプト行きと、帰還とが語られています。しかも、かなり長い期間のことが語られています。神様は、私たちが見ているよりもはるか遠くまでも見通した上で、最善のものを、最善のときに与えてくださるお方なのです。
 

12月30日(火) 創世記16章1節~16節
 あいかわらず、子どもが与えられないアブラムとサライは、サライの発案によって、女奴隷ハガルによって子どもを得ようと考えました。すなわち、自力で神様の約束を成就させようとしたのです。しかしこの計画は、アブラム夫婦の不和、女奴隷ハガイの悲劇を生み出してしまいます。ハガイは、この事件のきっかけを作ったのはアブラムたちなのにと・・・その仕打ちに不合理を感じたことでしょう。しかし相手を責める前に、自分がサライを見下げていたことを反省しないと、元には戻れなかったのでした。ハガイの帰還はアブラムとサラに、どんな影響を与えたでしょうか。争いの種をいつも目前にしていることで、2人はますます不仲になったのでしょうか・・・分かりません。ただ厳しい状況であったことに変わりはないでしょう。神様のお約束を信じて末ことができず、自力で約束を成就させてしまおうとしたことがこれらの悲劇を生み、状況をさらに悪化させてしまったのです。信じて待つことの大切さを痛感させられます。

12月31(水) 創世記17章1節~27節
  アブラムに再び、神様からの約束が語られるまでに何年経過しているのでしょうか・・・彼はもう95歳になっています。この長い期間は何のためなのかと思います。自分たちの手による可能性が完全になくなり、神様の言葉のみに信頼するしかないという状況を生み出させるための期間ということなのでしょうか。神様の言葉への徹底した信頼を身につけるには、とことん、人間の可能性がなくなるところまで追い込まれないといけないのかも知れません。神様は再度、約束を信じるように促し、その契約のしるしとしての割礼を指示されました。体に傷をつけることは、いつもそれを覚えさせられることにつながります。信じて待つことが求められています。2人の名前が変えられていますが、聖書では、名前の変更は新しい使命が与えられること、新しい出発などを意味します。ヤコブ(イスラエル)シモン(ペトロ)もそうでしたね。しかしこの期に及んでなお、アブラムは神様の約束に対して、  あざ笑うということで応えています。人はどこまでも罪深く、そして神様はどこまで忍耐と愛をもって人を導こうとされ続けています。

●2年間にわたり、成瀬教会聖書日課をご愛読くださり、ありがとうございました。12月31日をもって、聖書日課の配布を終わらせていただきます。この日課を用意するのは大変なことでしたが、自分自身にとりましては、やはり恵みのときでした。御言葉に触れ続ける、いや御言葉に触れられ続ける(私が)ことの幸いを改めて確認させられる2年間でした。信仰生活に王道はなく、地道に御言葉に触れられ続けること以外、信仰の成長を遂げて行く道はありません。