2015年2月28日土曜日


先週の説教要旨「 もてなしの火 」 使徒言行録27章39節~28章10節 

子どもさんびか120番は、私の大好きな賛美歌のひとつ。その歌詞は「 どんなときでも どんなときでも くるしみにまけず くじけてはならない イェスさまの イェスさまの あいを信じて  どんなときでも どんなときでも しあわせをのぞみ くじけてはならない イェスさまの イェスさまの あいがあるから 」というもの。キリスト教信仰の精髄とも言えることが、この短い歌詞の中に込められている。使徒パウロがローマへと護送されるときに、パウロたちの乗った船が暴風に遭い、難船してしまったという箇所を読み続けている。もし、パウロの時代にこども賛美歌の120番があったら、おそらくパウロはこの賛美歌を歌いながら暴風雨と戦っていたのではないかと思う。パウロは必ず、無事にローマに到着すると神様から約束の言葉を与えられていたが、その約束が与えられていなかったら、おそらくパウロは何度も死を覚悟したのではないかと思う。そういう危機の中で、パウロはこどもさんびか120番のように、イエス様の愛を信じた。信じて行動した。その結果、パウロはどうなったか・・・イエス様の愛はどのようにパウロの身に現れたか・・・。その点に着目して、今朝、この箇所を読んでみたいと思う。

パウロたちの乗った船は最初のピンチを切り抜けた。「 あきらめの心 」に支配されていた船の中に一致と希望が生まれた。パウロが神の言葉を伝え、彼らを励ましたからである。陸は近くなり、望みも見えてきている。俺たちは助かる・・・そう思っていた矢先にさらなるピンチが起きた。砂浜のある入江を見つけて前進したのだが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだしたのである。さらに悪い動きが起こる。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったのだ。もし囚人たちを逃がしたら、監視役であった自分たちが代わりに刑を負わなくてはならないから。兵士たちが囚人を殺そうと動き出したとき、パウロはどんな思いだっただろうか。一度持ち上げられてから、いきなりズドーンと落とされる。そういうときは、以前よりも激しく心が動揺するもの。だからパウロは一生懸命、神様の約束の言葉を自分に言い聞かせていたんじゃないかと思う。信じろ、イエス様の愛があることを・・・と。すると、パウロを助けたいと思った百人隊長は、この計画を思いとどまらせ、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令したと言うのである。そして、全員が無事に上陸することができた。兵士たちは囚人たちを殺そうとした行為は、軍隊の本質を言い当てていると思う。軍隊の本質は、軍を守ることであって、国民を守ることではない。いざとなると、あの沖縄戦のように、ガマと呼ばれる洞窟に避難し身を隠していた島民たちを後から来た軍人たちが追い出し、自分たちの身の安全を計ったというようなことが起こるのである。軍隊は国民を守るものであるというのは、決して自明のことではない。むしろ軍隊が優先して守るものは、自分たちの軍なのである。そういうことを考えると、百人隊長の一言でもって、パウロたちは生き延びることができたというのは実に奇跡的なことである。ここにはイエス様の愛が働いていた、確かにパウロの身にイエス様の愛が働いていたということではないだろうか。

 パウロたちが、大荒れの海を泳ぎ、雨の打ちつける中をたどりついた島の名前はマルタ島。泳いできた276人は皆、ずぶ濡れだったが、そのような難民に対してマルタ島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、パウロたちをもてなしてくれた。このホスピタリティーによって、パウロたちは身も心も温まったに違いない。顧みて、日本列島という私たちの島は、難民へのホスピタリティーという点で、良い印象を与えているだろうか。かつて、日本列島を「 不沈空母 」のようにしたいと言った首相がいた。私たちは、要塞の島よりも、マルタ島のようにしたい、それが私たちの切実な祈りである。島の人たちが用意してくれたもてなしの火に当たっていると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、パウロの手に絡みついた。島の人々はパウロの手から、その生き物が下がっているのを見て、こう言い合った「 この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『 正義の女神 』はこの人を生かしておかないのだ 」(4節)。ところがパウロはその蝮を振り払って火の中に落とす。いくら待ってもパウロに変わった様子は見えない。その結果、彼らは考えを変えて「 この人は神様だ!」と言い出した。そしてパウロたちは島の首長プブリウスの家に招待されることになり、パウロは熱病と下痢とで床に着いていたプブリウスの父を、祈ってから手を置いて直してあげる。このことを知った島の人たちは次々とパウロのもとを訪ね、そして癒され、パウロたちが島から出帆する時には必要な品々を用意してくれましたと言うのである。私たちはこのもてなしの火の背後にも、イエス様の愛の働きを見ることができるのではないか。マルコによる福音書第16章18節には、復活のイエス様が弟子たちに授けられた約束の言葉が記されている。イエス様の愛が働いて、この約束の通りのことがパウロの身に起こった。イエス様の愛は確かにパウロに働いていた。イエス様の愛は今も信じる者に働いている。それは確かなこと。2015年2月22日)

2015年2月22日日曜日


先週の説教要旨「 捨てて命を得る 」 使徒言行録27章13節~38節 

パウロをローマへ護送する船は途中で嵐に遭い、難船してしまった。その漂流の様子が詳しく記されているが、私たちの人生も荒海の中を行く航海のようなものだと考えると、ここからもいろいろな神様からの語りかけが聞こえてくる。パウロの乗った船は総勢276人の人々が乗っていた。彼らは絶望の極みにあっ。船はアドリア海を幾日も幾日も難船となって漂流していた。船の上で人々は身を寄せ合っていよいよ迫ってくる終わりの時を待つしかなかった。人々はついに積み荷を捨て始め、とうとう船具までも自分たちの手で投げ捨てた。もはや自分で自分を救う最後の望みがなくなり、あとは運を天にまかせるしかない状況に追い込まれたのだ。「 幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた 」・・・人々はもはや食べることすらやめてしまっていた(33節)。食べることなど、この難破船の上では生命をほんの少しの間、引き伸ばすだけでしかなかった。そういう中でパウロだけが立ち上がって語り出した。「 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです 」(22節)、「 今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください 」(33節)。明日への希望があるのだから、今日すべきこと、すなわち、食べて力をつけて「 待つ 」ことをパウロは勧めた。なぜ、パウロだけが希望を語り得たのか。パウロの目にもまた、太陽は見えず星を目にすることはできなかった。パウロも皆と同じように望みなき中にいた。それなのになぜ・・・。

パウロの確信は23節~25節の神の言葉にあった。あなたは必ずローマに行い、わたしを証することになると・・・。つまりパウロは結果を知っていたのだ。結果を知っているということは、希望を生み出す。私たちひとりひとりの人生も荒海を航海するのに似ている。海の底に何があり、どんなことが待ち構えているのか分からない。道路を走るようにはっきりとした進むべき道が見えているわけではない。突然の暴風雨に襲われることしばしば。しかしそこでなお、私たちがその航海の結果を知っているとしたら、しかもその結果最終的に祝福へとつながっていることを知っていたら、私たちは希望を失うことなく、航海を続けて行くことができるのではないか。キリスト者というのは、結果を知らされている人間のことなのである。結果を知っていて、生きている人間、それがキリスト者。その結果というのは、「 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています 」(ローマ8章28節)。必ず、最後に神の愛が勝利して、私たちは祝福に与ることになる、ということである。たとえ厳しい思いのままにその人生を終えるようなことがあったとしても、死の向こう側の世界で「 ああ、これで良かったのだ 」と言わせていただけるような祝福に与るということである。

私は船員たちが船を軽くするために次々と積み荷を捨てたという行動に何か暗示的なものを見る思いがする。彼らにとって船を軽くすることが助かる道だったわけだ。つまり捨てることが・・・。私たちは生きている間に色々な物を集めて、人生の船が一杯になってしまっている。嵐が来たら重くて沈没しかねない状況だ。そこで問われるのは、本当に大切にすべきものと捨ててもいいものとを見分けること。大切にすべきものとは、絶望的状況においても、なお希望を与えることのできるものではないか。私たちの歩みの結果を指し示してくれる神の言葉を繰り返し聞くことである。そこに希望は生まれる。私たちは忘れやすく、目の前のことに心を奪われやすい。嵐に遭えば目の前のことに右往左往してしまい、その大切なことを忘れ、焦って行動してしまう。だから繰り返し神の言葉を聴き、私たちの歩みの結果を語る言葉を心に堆積させて行くのだ。先日、FEBCの聖書を説く番組の録音を聴いていた。ところどころに保育園の子どもたちの声も混じって録音されている。その声の方に心を奪われぬよう、集中して御言葉を聞かなければならなかった。わたしたちの生活の中には、実にたくさんの声が聞こえてくる。そういう声に惑わされず、しっかりと聴くべき言葉を聞いて行こう。

船が陸地に近づいたとき、小舟を降ろして自分たちだけ逃げようとするものが出たのは象徴的だと思う。危険を脱し、望みが生まれ始めたときこそ、私たちは危険を迎えるのだ。困難のまっただ中にいるとき、人は神に祈り、神にすがる。しかし困難から脱し始めると、人の心は罪にとらわれ、神を忘れて、神から離れても自分で何とかやっていけるのではないかと思い始める・・・。だがそうではないのだ。

この箇所で、神はパウロに与え使命-ローマでも主を証する-をパウロが全うするまでは、パウロの命を召し上げられなかった。神は、私たちひとりひとりの人生に対しても計画を持っておられ、使命を託しておられる。その使命を私たちが果たし終えるまでは、神は私たちの人生を終わりとはなさらない。どんなに激しい嵐が襲っても、その使命が果されるまで必ず私たちを守ってくださる。御言葉を通して、結果を心に刻み、希望をもって使命を果たして行こう。2015年2月15日)

2015年2月15日日曜日


先週の説教要旨「 世にあるキリスト者 」使徒言行録27章1節~12節 

27章は、ついにパウロがローマ皇帝のもとに護送される船旅に出たことが記されている。『 新共同訳聖書 』の巻末に載っている地図9番、<パウロのローマへの旅>というのを見ながらこの箇所をたどってみるとよいだろう。護送の責任者であったローマの百人隊長ユリウスは、囚人パウロに対して大変親切に接し、仲間のアリスタルコの同伴を許可し、シドンの港に着いたときには船を降りてシドンの町の友人たちと会うことも許可してくれた。そのように一見すると、この船旅は快適なものであったように思えるのだが、地図中央のキプロス島の辺りを航行したときから雲行きは怪しくなるのである。向かい風に遭い、思うように進めない。風を避けるようにして何とかミラに着き、もっと馬力のあるイタリア行きの船を見つけ、乗り換える。しかしそれでも船足ははかどらず、ようやくのこと、クニドスの港に近づいた。しかし風に行く手を阻まれてクニドスの港に上陸することができず、進路を変えてクレタ島に向かい、「 良い港 」と呼ばれる港にたどり着く。しかし季節風の関係で、この時期の停泊には向いていない港だった。暴風をもろに受けてしまうのである。それで百人隊長は、船長と船主の勧めるままに同じクレタ島にある冬を越すには適した港フェニクスに移動する決断を下す。この時期、地中海は荒れるため、航海は数ヶ月の間、一時中断するのが通例となっていたのだが・・・。そのことを聞いたパウロは反対する。パウロは航海のプロではないが、3度にわたる大きな伝道旅行の経験から、船旅の経験もずいぶん重ねており、海のことをよく知っていたようである。パウロは人々に忠告する。「 皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります 」(10節)。しかし船長や船主たちは、どうにかフェニクス港までは行きたいと考え、出航してしまう。来週読むことになるが、案の定、彼らの船は暴風に遭い、難船してしまうことになるのである(14節、15節)。今朝はこの箇所から「 世にあるキリスト者 」ということを一緒に考えてみたいと思う。

 この箇所には「 わたしたち 」と言う言葉が何度か登場する。最初は、この「 わたしたち 」はパウロとその仲間のことを指して使われているようなのですが、節が進むに連れてこの「 わたしたち 」は、範囲を拡大して行く。6節の「 わたしたち 」は、パウロとそれ以外の囚人たちのこと。そして10節の「 わたしたち 」は、百人隊長も、船長も、船主も、船に乗っている全ての者を指すと言った具合に。このときに至ってパウロは、ユダヤ人であろうとローマ人であろうと、キリスト教徒であろうと、他の神々を信じている者であろうと、皆、同じひとつの船に乗って航海をしている、言わば運命をともにとしている「 わたしたち 」と呼んでいるのである。これは実に興味深いことだと思う。皆さんは、『 宇宙船地球号 』という言葉をお聞きになったことがあるだろうか。国際飢餓対策機構が毎年発行しているカレンダーには、『 地球家族 』とか『 宇宙船地球号 』という言葉がよくて出てくる。地球という船は、ひとつの運命共同体であり、かけがえのないものである。この船にはイエス様を信じている者も乗っていれば、イスラムの信仰、あるいは仏教の信仰を持っている者もいる。肌の色も違う。しゃべっている言葉も違う。毎日お腹をすかせている子どもたちもいれば、満腹に満ち足りて、食べ残している人たちもいる・・・。実に多様な人たちが、この地球というひとつの船に乗り込んでいるのである。しかし皆同じ地球人、同じ人間、「 地球家族 」なのだ。家族なのだから、苦しい時には支え合い、うれしい時にはその喜びを分かち合い、たとえ仲が悪くなったとしても、いつかは仲直りをしてまた一緒に生きて行こう・・・。そういう願いがそこには込められている。しかし今の世界の状況は、争いが絶えず、互いに互いを滅ぼしかねない状況を抱えている。今もしパウロがこの地球船に同船していたら忠告することだろう。10節のように・・・。神と隣人に奉仕するという愛の論理に寄らない経済的圧力や軍事力という力の論理による最近の航行は、深刻な危機を招くのではないだろうか。パウロの忠告を信用しなかった「 大多数の者の意見 」による「 船出 」は、間違っていた・・・。私たち今、この時代にこの世界に遣わされているキリスト者たちは、『 キリストが教えてくださった愛の論理 』は信用されないとしても、共に生きる人々に向かって『 忠告 』しないで良いのか・・・。

 パウロは彼の忠告を信用しなかった人々と運命を共にさせられる。しかし彼はその運命共同体の絶望的状態をキリストにある愛と祈りで支え続け、人々がなお希望を持って生きるように励ます(21節)。私たちは、神様からこの世界に遣わされている者たち。それはこの世界に生きる人々に危険を忠告するように「 地の塩 」としての働きをするため。あるいはこの絶望的な状況においても、なお望みがあると望みの光を輝かせる「 世の光 」という働きをするため。そして私たちの言葉に残念ながら耳を傾けず、その結果ますます苦しみを担うことになる人たちの苦しみを一緒に担って、その苦しい思いを彼らに代わって神様に向かって注ぎ出す、「 とりなし手 」の役割を担うためである。それらのことのために私たちは神から遣わされている。預言者ヨナのように船底で眠りこけてはいけない。2015年2月8日)

2015年2月8日日曜日


先週の説教要旨「 伝道者の心 」使徒言行録26章19節~32節 

今、私たち日本の国はどこに向かって進んでいるのだろうか。人質とされていたフリージャーナリストの後藤健二さんが殺害されたというニュースが飛び込んできた。これを受けて安倍総理は「 テロを許さない。我々はテロ屈せず、これからも国際社会と連携してテロと戦う 」という主旨の声明を発表した。一方、イスラム国側は「 日本は勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断をした 」と、いみじくもこれを「 戦争 」と言った。双方にそれぞれに言い分があり、それが平行線を辿り、最後は武力によって相手をねじ伏せ、片をつけるということが歴史で繰り返されて来た。しかし武力による制圧は、憎しみの連鎖を生むだけで本当の解決には至らないこともまた歴史は証言している。どのように理由、形にせよ、武力で相手を制圧する方向に向かうことは果たして、正しいことなのであろうか。戦後70年を迎えた今、私たち日本人はそのことを問われていると思う。
 
使徒言行録第26章は、捕らわれの身となっているパウロが時の権力者たちの前で弁明をしている箇所。「 フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです 」(25節)。パウロはローマの軍事力を思うままにできる立場の人間に向かってそう言った。私は、今朝の礼拝でこのような箇所が与えられていることに深い神様の摂理を感じる。私たちは、戦争に突き進む決断ができてしまう立場の権力ある人間に対しても、「 私たちは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです 」と言う事ができるかと神様に問われているのではないだろうか・・・。パウロが捕らわれの身になっていることは、正当なことではないと総督たちは気がついていた。だから皇帝に上訴しなければパウロは釈放されていたのである(32節)。しかしパウロはたとえ捕らわれの身となっても、皇帝の前に立ち、語るべき福音を語る機会を得ることの方が大切だと思った。権威者に対しても、語るべき言葉を語りたいと願っていた。パウロの弁明の中心は「 王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが 」ということであり、ユーモアさえある。しかし鎖に繋がれることはなくても、あなたが王であろうとなかろうと、ユダヤ人であろうとローマ人であろうと、誰一人例外なしにつながれるべきものがある。それはイエス・キリストにつながれることだ。イエス・キリストを主とし、この方につながれた生活を造ることだと言うのである。この言葉をいかなる権力であろうとも聞いてほしい、それが伝道者パウロの心であり、教会に生きる者の心であると思う。
 
しかしパウロはなぜ、そういうことを語るのであろうか。パウロもかつては、権力の側に立った者であった。その権力を用いてキリスト者たちを力で屈服させ、殺そうとした。パウロはイエスの名が持つ力に恐れと不安を抱いていたのである。しかし殺意に燃えて向かったダマスコ途上において、パウロがこの地上から抹殺してしまおうと考えていたイエス・キリストがパウロを捕らえる。パウロとイエス・キリストの戦いに、イエス・キリストは勝たれた。パウロは荒れ狂う自分に勝ったイエス・キリストの力が、自分がそれまで知っていた力とは全く異質な、全く新しいものであることをそこで味わうことになった。その力をパウロは「 光 」と表現する(12節)。この光は、彼らの目を開かせる光であり、真実に気がつかせ、神のもとへと導く光であった(18節)。14節に「 とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う 」とあるが、パウロは力でもって相手を屈服させる生き方は問題を解決にではなく、かえって自分自身をも傷つけることになることに目が開かれた。キリストの力とは、滅ぼす力ではなく、赦し、悔い改めさせ、正しい方向へと生かす力であると知った。キリストの招きは、ユダヤ人であろうと、異邦人であろうと、日本人であろうと、誰一人として例外はない。すべての人に向かって呼びかけてられている。すべての人よ、神のもとに立ち帰れ。そこ以外に人間の生きうる道はないのだ。そのために、神の御子イエスがどれほど、心を砕いておられることか。イエス・キリストはそのために十字架の苦しみの中に立たれたのだ。あなたもまたイエス・キリストの苦しみの中に今、生き始める。この世の暴力を振り回す側ではなく、むしろその暴力がもたらす苦しみの中にこのイエス・キリストと共に立とうではないか。真実の勝利はそこに約束されているのだ。そう呼びかけることが教会の伝道であり、それが教会の心であろう。
 
権力ある者に堂々とキリストに従う道を語るパウロをフェストウスは「 頭がおかしい 」と言った(24節)。それは常識的ではないと・・・。神を信じること、キリストの救いにあずかること。そのことこそ真実なのであって、あなたのように自分の知恵、力に拠り頼んで神を無視して生きることの方が常識だと考える方が、おかしいのではないか・・・。政治の中枢に生きるフェストゥスにとって、パウロの言動は政治を知らない甘っちょろい非常識な人間にしか見えなかったことだろう。今日の政治家も「 武力を捨てよ 」と叫ぶのは、甘い、何も分かっていない人間だと言うであろう。だが昨日天に召されたヴァイツゼッカー元ドイツ大統領は政治の世界でこそ、キリストの山上の教えを真剣に生きようとした人物だったのである。彼の死がこのような時と重なったということに深い神様の摂理を感じずにはおれない。       2015年2月1日)
 

2015年2月1日日曜日


先週の説教要旨「 主の証人として召され 」使徒言行録26章1節~18節 

26章は、パウロがユダヤの王ヘロデ・アグリッパの前で弁明をしている場面である。弁明と言っても、その内容は信仰の証と呼んだ方がふさわしい。この証を今週と来週とに分けて読みたいと思う。

 1節から3節までは弁明に先立つ挨拶であり、実際の弁明は4節から始まる。その内容は、パウロ自身も最初はイエス・キリストに対して反対の立場にあった(8節、9節)。反対の立場にあった自分がどうしてその立場を逆転させ、イエス・キリストを伝えるまでになったかということを語る、キリストとの出会いの証である。パウロはユダヤ人の宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として生活していた。ファリサイ人は律法を重んじ、律法に生きることを何よりも第一のことと考える。そのパウロがナザレ人イエスを信じる信仰によって生かされている人々の群れを見たときに、「 これは自分と相容れない生き方であって、神を冒涜するものだ。これらの人々を残らず滅すべきだ 」と考えたのである。信仰の熱心というものは、往々にしてこういう形を取る。信仰はこうあるべきと考え、自分はそれに非常に熱心になっているとき、他者に対しても自分と全く同じように生きるべきだと考え、自分と同じように生きていない人たちを圧迫するということが起こる。このことは今日でも同じである。信仰に限らず、様々な文化、生活習慣、政治のシステムが世にはある。しかし今日の世界は、そういうものの違いを受け入れず、自分と同じように生きていない人たちを排除したり、圧迫しても構わない、それが当然のこととしてまかり通ってしまう世の中である。テロとか正義の戦争とか、いかにも正当な理由がつけられているが、ことの始まりが何処にあったかを冷静に見つめるべきであろう。そこには、自分と違う生き方をする人たちなら排除しても構わないという意識が働いているのではないか。表現の自由の名をもって、イスラム教徒を貶めるようなことが果たして認められるのであろうか。宗教というものは、自分たちと同じように生きていない人たちに対とどう関わっていけるか、そのことが重要なのである。かつてオウム真理教は自分たちと違う人たちを殺しても構わないと考えたが、イエス様は善きサマリア人のたとえで、隣人を愛することを教えられ、その隣人には同じ信仰であるとか、同じ民族であるというような枠はないのだと言われた。しかしこのときのパウロはそれと真っ向から対立する生き方をしていたし、そのことに非常に熱心であった。彼はキリスト者を捕らえようと、ダマスコへと向かう。その途上、強い光が照らし、彼は地に倒れた。そしてよみがえりのキリストと出会った。キリストは「 なぜわたしを迫害するのか 」と言われた。主を信じる信仰のゆえに厳しい迫害の中に命の危険を冒して、なおその信仰を守り抜いているその人々を主は「 わたし 」と呼んでおられる。ここでは主を信じる者の苦しみがイエス様の苦しみともなっている。私たちは苦しみも労苦も、何もかも自分ひとりで担っているように思い込んでしまうことがあるが、そうではない。私たちはひとりで苦しみを担っているのではない。キリストも共に担っていてくださるのだ。私たちはそれほどに、キリストと深く結びついて生きているのだ。

 パウロはよみがえりの主によって「 地に倒れた 」。主がパウロの行く手を阻み、パウロを地に伏させたのである。これはただ単にパウロを地面に打ち倒して伏させたということだけでなく、それまでのパウロの生き方そのものを打ち倒し、地に伏させたということなのである。主に打ち倒されなければならなかったそれまでのパウロの生き方とは、どのようなものであったか。「 とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです 」(フィリピ3章4節)。キリストにとらえられるまでのパウロの生き方は、肉に頼る、すなわち自分の力に頼り、そして自分の力を誇るという生き方。力を誇り、そして自分と相容れない生き方をする者を、力をもって屈服させる、あるいは殺す。そういう生き方をよみがえりの主は打ち倒される。しかしよみがえりの主がパウロを打ち倒されたのは、パウロを滅ぼしてしまうためではなく、救うためであった。救うためだけではなく、新しい使命を与え、それに生きるようになるためであった。一体、どんな使命が与えられたのか。「 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす 」(17節)。私たちに使命を与えられるというのは、私たちが救い出されて来たその場に、もう一度改めて遣わされることだと言うのである。改めて主の証人として遣わされるのだ。それは「 彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである 」(18節)。目を開かせる・・・今まで見えなかったことが見えるようにする。自分が立っていた高みとは深みであった、自分が生きていた安全とは破滅のことであった、自分が持っていた光明とは暗黒のことであった、自分の力を誇ることは他者を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけることであったと、目を開かせる。かつてそのような誤解の中に生きていた私たちは再び、そこに遣わされる。主の証人として。2015年1月25日)