2014年12月21日日曜日



成瀬教会 <聖書日課>  12月22日~12月28日

12月22日(月) 創世記12章10節~20節(Ⅰ)
  アブラムは飢饉から逃れるためにエジプトへ行きます。神様の示された約束の地で飢饉が起こったのは、選ばれた者に対する神様の訓練が始まったということです。エジプトは当時穀物の豊かな国で、地理的にも近い国でした。しかし残念なことに、アブラムは神様の導きを求めるのではなく、自力による解決を目指してしまったのでした。最初のときのように神様の命令で行動するのではなく、独自の判断で行動してしまったのです。彼は飢饉の前までは、それぞれの地で祭壇を建て、主の名を呼んで、祈ったのでした(8節)。しかし10節からのところには「 」という言葉さえ、登場していません。飢饉という問題を前にした時、彼は主の名を呼ぶことをしなかったのです。平常の時は、主に道を求めることができても、「 いざ 」となると自己判断、自力解決に動いてしまう。でも、それは解決への遠回りなのです。

12月23日(火) 創世記12章10節~20節(Ⅱ)
  エジプトへ行ったアブラムは、エジプトの王ファラオに方便としての嘘をつきました。自分の身を守るために、妻を犠牲にしているみたいで、嫌な感じがしますね。神様は、これをどのように思われたことでしょうか・・・。でも、アブラムは生きることに必死だったのです。エジプトに逃れて来たことも、神様に問わなかったとは言え、必死に生き延びようとした行為でした。驚くべきことに、神様はそういうアブラムを罰するのではなく、ファラオの方を罰されました。アブラムは自分の失敗にもかかわらず、神様に罰せられず、かえって多くの財産を得ます。そして12章2節の神様の約束の成就に一歩近づいた形で約束の地に戻るのです。ここでのアブラムの姿は、放蕩息子と重なるものがあります。神様は罰することではなく、かえって祝福を与えることで、神様への畏れ、信頼を彼に植え付けさせられたのです。

12月24日(水) 創世記13章1節~4節
  アブラムの物語には、甥のロトが登場します。不思議にも聖書は、彼の存在を何度も「 共にいた 」と紹介しています(12章4節、5節、13章1節、5節)。それはくどいと思われるほどなのですが、そこに意味があります。ロトがいたために、アブラムの生活はいつもスッキリしたものにならず、面倒くさい、やっかいな事件に巻き込まれてしまうのです(14章12節など)。しかしそういうものを引きずってアブラムは生きて行きます。アブラムの信仰生活には、いつもロトがつきまとっています。皆さんの信仰生活にも、ロトのようなやっかいな問題がいつもつきまとっているのではないでしょうか。しかしアブラムは「 このロトさえいなければ・・・」と思う、そのロトによって自身が変えられて行くのです。ロトがいたために、アブラムの礼拝はいつも切実なものになるのです。神様を礼拝せざるを得ない人間、神様を呼び続けざるを得ない人間となって行くのです。

12月25日(木) 創世記13章5節~18節
  アブラムとロは、非常に多くの財産を手にしてエジプトから戻ります。しかしやがてこのことが問題を引き起こしました(6節、7節)。アブラムはロトと離れて生活することを決断し、ロトにどの場所に住むか、その選択権を与えます。年長者への遠慮を知らないロトは、肥沃な土地を選び、アブラムは損したように見えます。しかしロトに先に選ばせたということの中に、アブラムはその結果を神様に委ねていたことを見ることができます。自身の選びによってではなく、神様の選びによって生きようとするアブラムの信仰が輝いています(ヨハネ15章16節参照)。そんなアブラムに神様は優しく恵みの言葉を語られました(14節~17節)。神様の選びによって生きようとする者を、神様は決してお見捨てにはならないのです。

12月26日(金) 創世記13章14節~18節
  主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える 」(14節、15節)。一緒に旅をしていたロトは肥沃な「 低地一帯 」を選んで去りました。アブラムに残された地は、未開の荒れた地ばかりです。しかし神様は言われます。「 見えるかぎり土地はあなたのものだと 」・・・。利口な人はいつも目の前の肥沃な土地を上手に自分のものにして行きます。しかし嘆くことはありません。残りは全部私たちのものです。残りの広大な可能性の世界を、神様は私たちのために取っておいてくださるのです。

12月27日(土) 創世記14章1節~16節
 大変です。ロトの住む地域の王たちの争いに巻き込まれ、ロトが財産もろとも連れ去られました(12節)。直ちにアブラムはロト救出に向かいます。アブラムは、良い地を選んだロトを恨んではいなかったのです。自分は主から祝福をいただいているという意識がなければこうはならないでしょう。肉親間では、遠慮がなくなり、欲がむき出しになりますから、一度こじれた関係を再生するのは難しくなります。でも、アブラムはロトを恨んでいなかった。自分は主から恵みを受けているという意識があったからです。あなたも、この祝福されているとの意識によって守られますように。

12月28日(日) 創世記14章13節~24節
  アブラムは、人数差を越えて勝利し、ロトの救出に成功します(16節)。その勝利を祝福するために登場するサムレの王、祭司メルキゼデクは謎に満ちた人物で、その氏素性は分かりません。メルキゼデクに祝福されるアブラムを見つめるロトとソドムの王は何を思ったのでしょう。ロトは肥沃だけど危険な土地を選んだ自分の選択の愚かさを思い知りつつ、神様に信頼して生きるアブラムの姿に心惹かれたかも知れません。ケチなソドムの王(21節)は何も感じなかったかも知れません。