2014年6月24日火曜日


成瀬教会 <聖書日課>  6月23日~6月29日
 
6月23日(月) テモテの手紙Ⅰ 5章3節~16節(Ⅱ)
 9節に「 やもめの登録 」と言う事が出ています。教会が親身になってお世話をしてあげなければいけない人たちの名簿の事を指していると考えられますが、他にも「 やもめという務め 」を指しているという意見もあります。カトリックの聖職者はみな独身ですが、それは家族の制約なしに自由に神と人に仕えることができるからです。やもめもある意味でそういう面があり、教会で物質的に支えられながら、いろいろな人に仕えることができたのです。教会は、人々にサービスされることを楽しみ、喜ぶばかりでなく、・・・それもありますが・・・それ以上に、自分の悲しみや寂しさを乗り越えて、色々な形で助けを必要としている人たちに仕えることをもって、受けるよりも与える喜びを教えてくれる場となっていたのですね。

6月24日(火) テモテの手紙Ⅰ 5章17節~25節
 21節、偏見を持つこと、えこひいきをすることは、人間が無意識に犯す一番大きな過ちかも知れません。偏見というのは、前もって人についてある判断をして、あの人はこういう人だと、決めてかかってしまう事です。それはえこひいきを生みます。そして正当な判断をしないで、私はこの人の味方だとし、とてもわがままに裁きを行うのです。人々を裁かねばならないときに、裁く者が裁くところで犯す自分の罪をよくわきまえていないといけません。一歩退くほどの慎重さが求められています。

6月25日(水) テモテの手紙Ⅰ 6章1節~10節
 「 もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です 」(6節)。利得という言葉が使われています。よく、信仰はご利益ではないと言われます。しかし、神を信じると大きなご利益があるのです。ただ、人間の考えているレベルでのご利益ではなく、もっと大きな利得、神の考えておられるご利益が与えられるのです。神のご利益を人間のご利益のレベルに引き下げてしまう(6節)ことが大きな間違いなのです。そういう意味ではキリスト者は、自信をもって本当のご利益を語り、これこそ神の下さる大きな、あなたが考えている以上のご利益なのですと語れる必要があるでしょう。そのご利益の一つが満ち足りる事を知る心です。

6月26日(木) テモテの手紙Ⅰ 6章11節~16節
 「 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです 」(12節 )。人生は戦いであると言われます。しかし、私たち信仰者にとっては、人生は信仰の戦いです。この信仰の戦いは、「 神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主 」(15節)であると真剣に受け止めることがなくては、戦い抜くことはできません。信仰者の信心を挫けさせるに十分な様々な出来事が身の回りに起きます。どこに神の主権者たる現実が見られるか?どこに神の祝福が見られると言えるのか?そこで戦うことを諦めてはいけないのです。信仰者にとって諦めは大敵です。

6月27日(金) テモテの手紙Ⅰ 6章17節~21節
 「 不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように 」(17節)。主は誰も二人の主人に仕えることはできないと言われた時、ご自身と富を比較しておられました。ある牧師は、その人のお金の使い方でその人の信仰がはっきりと分かると言われました。誤解を招きそうな言葉ですが、17節の言葉と照らし合わせると真理でもあると言えます。ある牧師夫人は、一生懸命月々の出費を節約して貯金をしていました。それは、いつ神様から捧げることを求められても、喜んで捧げることができるようにとの思いから貯められていたのです。神に望みを置く者は富からも自由に生きます。

6月28日(土) テモテの手紙Ⅱ 1章1節~18節(Ⅰ)
  テモテ第Ⅱの手紙は老境を迎え、いよいよその信仰のバトンを弟子テモテに引き継ぐ時が近づいた時に書かれたと言われています。「 わたしは、あなたの涙を忘れることができず 」( 4節 )とパウロは言います。人の流す涙というのは、いつまでも自分の心に刻み込まれます。それと並行してパウロは、「 そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています 」(5節)と、テモテの純真な信仰も忘れられないと言います。テモテはパウロにとって信仰の後輩ですが、テモテの純真な信仰に触れるだけでパウロもまた彼から深く慰められていたのです。私たちも同じような経験をすることがあるでしょう。テモテの信仰は母親たちから受け継いたものですが(5節)、人の心の中に純真な信仰を見るのは、神の奇跡を見るようであり、それだけで深く慰められます。純真な信仰は人を慰める力があります。

6月29日(日) テモテの手紙Ⅱ 1章1節~18節(Ⅱ)
 教会に生きる時に、とても大事な事があります。言わばキリスト者であることのコツと言ってもよいことですが、教会員であることを過まつことなく、しかも生き生きとして生きることができるための必要な心構えは、信頼する方を持っていることです。「 わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです 」(12節)。信頼するから委ねることができるわけですが、テモテには神様から福音がゆだねられました。しかし、その委ねられたものをテモテが守ると言うのではなく、委ねた神ご自身が守ってくださると言うのです。不思議なことです。私たちが頑張って信仰を保ち続けるというのではなく、信仰を私に委ねられた神様が私の信仰を守っていてくださる事を信じる。これが信仰の急所です。