2014年4月20日日曜日


先週の説教要旨 「 育ち行く教会 」 使徒言行録11章19節~30節 
 どこの教会でも、自分たちの教会がどのように誕生し、成長を遂げてきたか、その記録を記念誌という形で残すものである。今朝の箇所は、アンティオキアにある教会の誕生と成長の様子が記されている。アンティオキアの教会の人たちにとってみれば、自分たちの教会の記念誌に載せられるようなことがここに記されている。「 0からのスタート 」という言葉があるが、アンティオキアの教会の始まりは、マイナスからのスタートだった。ステファノ事件をきっかけにして起こった迫害のために、エルサレムから散らされた信者たちが、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで逃げて来た。この人たちがアンティオキアの教会の最初の教会員になる。彼らは迫害を通して、信仰を持つというのは戦いの中に身を投じることなのだと知らされていた。それはある意味、マイナスのことであったかも知れない。しかし信仰というのは、その厳しさに勝ち得て余りある喜びをもたらすものである、そのことをよく知っていたから、彼らは信仰から離れないばかりか、伝道しようとした。

 最初はユダヤ人だけに伝道していたが、やがてコルネリウスの出来事の情報が届いたのであろう、彼らは外国人であるギリシャ人にも伝道し始めた。ギリシャ語に堪能な人たちもいたのである。そして、主がこの人たちを助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。ここにひとつの信じる者の群れが生まれた。これがアンティオキア教会の始まりだった。信仰には、迫害にも勝る大きな喜びがあると言ったが、その喜びは21節の「  信じて主に立ち帰った者の数は多かった 」という言葉の中に現れている。立ち帰る、本当に立ち帰るべきところに帰って来られた。その喜びは迫害を受けるにも勝る大きな喜びを生むのである。私たち人間は自分はどこから来て、どこに行くのか、よく分からないままに生きている。あまり、そんなことは考えないようにして生きているかも知れない。でも、自分が死ぬときが近づくと、ふと、自分はどこから来て、どこに行くのだろうと考えるようになる。今まで、そんなこと真剣に考えないままに生きて来たけれども、これって、本当は重要なことなのではないか。もしその答えを人生の早い段階で知っていたら、自分はもっと違った生き方をしたのではないか・・・そういうことを考えるようになる。人間には、本当に立ち帰るべき魂の故郷、あなたのいのちの故郷というものがある。故郷は心が安らぐ場所。そこに帰ることができた、というのが信仰のもたらす大きな喜びなのである。このとき、信じた人たちはアンティオキアに住むギリシャ人たち。ギリシャの国にはたくさんの神々が祀られていた。外国の宗教の神など、必要ないぐらいに、たくさんの神々があった。そういう中で生活していたギリシャ人が今まで全く無縁だと思っていたユダヤ人の神のところに行くようになった。それを聖書は「 立ち帰った 」のだと言う。ギリシャ人であろうと、ユダヤ人であろうと、どこの国の人間であろうと、本当に立ち帰るべき魂の故郷、あなたのいのちの故郷というものが人間にはある。それはイエス・キリストが明らかにして下さったユダヤ人の神、聖書の神なのだ。それは私たち日本人にとってもそうなのである。加藤常昭先生は自伝の中で、信仰をもって間もない中学生だった頃、戦地に赴くことになった教会の若者を東京駅から賛美歌を歌って、教会員皆で送り出したという。勇ましい軍歌を歌って送り出す人たちがあふれている中で、異様な集団がそこにあった。賛美歌を歌って仲間を送り出すこの人たちの姿には、まことに帰るべきところに帰れたという大いなる喜びが息づいている。迫害にも勝る大いなる喜びである。

アンティオキアにおいて、多くのギリシャ人が信仰を持つようになったことが伝えられると、エルサレムの教会はバルナバを派遣した。彼はかつて、サウロとエルサレムの教会の仲立ちをしたとりなし上手な人間。そういう人間を送って、新しく誕生した教会との関係を深めようと考えたのだ。バルナバは神の恵みが働いているアンティオキアの教会の現実に触れ、とても喜んだ。そして2つのことをした。ひとつは、「 固い決意をもって主から離れることのないように 」と勧めたこと。とにかく信仰は、立ち帰ったところからもう離れないことが肝要である。もうひとつは、サウロを見つけ出しにタルソまで行き、彼らの指導者としてアンティオキアまで連れてきたことである。サウロは聖書の知識も豊かで、復活のキリストに出会った信仰体験もあり、ギリシャ語も堪能で、彼らの教会には最適の指導者であった。サウロは1年間、アンティオキアで伝道し、また教会の人たちを教えた。その指導の成果は具体的な2つの形になって現れた。ひとつは、信者たちが人々からキリスト者と呼ばれるようになったこと。「 呼ばれる 」と訳されている元のギリシャ語は、「 仕事をする 」という意味のことであって、そこにはあの人たちは「 キリストの仕事する人たち 」という意味が込められている。何かの仕事をしていても、その根底にはキリストのために働いている人と、周りの人たちの目には映っていたのである。そういう信徒が育ったのである。もうひとつは、飢饉に苦しむエルサレム教会を支援する、自分たちのことだけでなく、他の教会のことにも心を砕く教会になったことである。私たちはここに神の恵みが教会を生み、そして育まれる姿を見る。私たちの教会もこの方の恵みの中に立っているのだ。(2014年4月13日)