2014年3月2日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  3月3日~3月9日

3月3日(月) 詩 編 106編1節~48節
  この詩編は、ハレルヤ詩編の最初の詩編と言われ、イスラエルの民の救いの歴史を想い、そこに現れた民の罪に思いを集中した内容になっています。「 わたしたちは先祖と同じく罪を犯し、不正を行い、主に逆らった。わたしたちの先祖は、エジプトで驚くべき御業に目覚めず、豊かな慈しみに心を留めず、海辺で、葦の海のほとりで反抗した 」(6節、7節)。詩人は、先祖たちの罪の中に自身の罪を見、その罪を共有しています。それは聖書を読む正しい姿です。しかし実は、それができる人が、真に主の憐れみを共有できるのです。

3月4日(火) 詩 編 107編1節~43節
  この詩編は、106編と内容がつながっている詩編であり、民の罪に対する刑罰としての艱難からの回復を歌っています。「 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから救ってくださった 」(6節、13節、19節、28節) という言葉と「 主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる 」(8節、15節、21節、31節)と言う言葉がそれぞれ4回も繰り返されています。長い人生の旅を続けていると、振り返って自分の人生がいかに主に導かれ、守られていたかということを悟るに至ります。そして必ずや神に向かって感謝と賛美の言葉を口にするようになります。主はそのように私たちを扱われます。

3月5日(水) 詩 編 108編1節~14節
  この詩編は、2節~6節を57編8節~12節から取り、7節~14節を60編7節~14節を取って、2つを合体させた作りになっています。「 神よ、わたしの心は確かです。わたしは賛美の歌をうたいます 」(2節)。「 わたしの心は確かです 」を「わたしの心は揺るぎません 」と訳している聖書もありました。8千トンの巨大な船で太平洋を航行していた時、嵐に遭遇して、8千トンの船がまるで笹舟のように揺らいだそうです。そのときの船長の言葉が素敵です。「 お客さん、こんなに海の表面は荒れ狂っていますが、20メートル下は嘘のように静かなのですよ 」・・・。表面には現れて来ないけれども、確かに静かな主の導きの流れがあることを信じて、揺ぎなく歩んで行きましょう。

3月6日(木) 詩 編 109編1節~31節
  この詩編は、内容的には呪詛詩編に分類されています。私たちの人生を一番深いところで一歩一歩定められ、導かれているのは主なる神ですが、私たちも自分の人生を造っていることは確かです。なぜなら、「 あなたの慈しみに生きる人に、あなたは慈しみを示し、無垢な人には無垢に清い人には清くふるまい、心の曲がった者には背を向けられる 」(詩編18編26節、27節)とある通りです。「 彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから、祝福は彼を遠ざかるように 」(17節)と詩人は祈っていますね。人を呪う人生を送る人には呪いに満ちた人生が与えられ、人を祝福する人生には祝福に満ちた人生が与えられるものです。

3月7日(金) 詩 編 110編1節~7節
  この詩編は、新約聖書に最も多く引用される詩編であり、メシア、来るべき救い主キリストを預言した詩編と理解されています。「 わが主に賜った主の御言葉。『 わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう 』」(1節)。この言葉は、ダビデが聖霊によって、父なる神が、わが主キリストに与えられた言葉という意味で理解されています(マルコ12章35節参照)。御使いよりも高い位にあった御子キリストは、人となられ、人類の救いのために十字架の上で贖いの業を成し遂げ、復活して天に昇り、父なる神に代わって世を裁く立場におつきになられました。すでにすべてのものは、主イエス様の足もとに置かれています。世に君臨し、ほしいままに世を支配しているように見えるいかなる力も、実はこの方の足もとに置かれているのです。恐れるな!それは聖霊によって与えられる確信です。

3月8日(土) 詩 編 111編1節~10節
  111編から118編は、ハレルヤ詩編集と呼ばれています。111編はその始まりを告げる詩編で、ヘブライ語のアルファベット詩編になっています。日本語のいろは歌のように、ヘブライ語の聖書では各行の始まりに、きれいにヘブライ語のアルファベットの文字が並んでいます。芸術的、遊び心のある詩編です。10節の「 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る 」という言葉は、しばしば旧約聖書に現れる言葉ですね。人生を生き抜くに必要なことは知識ではなく、知恵です。その知恵は主を畏れるという基盤の上に積み重ねられるものでなければ意味はないのです。

3月9日(日) 詩 編 112編1節~10節
 112編もアルファベット詩編です。「 彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している 」(7節)。世の中には良い知らせばかりではなく、悪い知らせが満ちています。新聞を広げれば、そしてテレビをつければ、飛び込んでくるのは圧倒的に悪い知らせばかりです。しかし主に信頼を置く者には、絶望的な悪しきおとずれはありません。すべてのおとずれも、みな父なる神の許しの中で届いたものであり、御父のなされたことなのですから・・・。だからそれらはいかなることであっても、私たちの益となるように、起こっていることなのです。