2014年2月9日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  2月10日~2月16日

2月10日(月) 詩 編 85編1節~14節
   この詩編はバビロン捕囚から帰還した民が、エルサレムの地で新たに直面した困難から救出してくださるようにと訴えている詩編です。9節を境にして、この詩編は嘆きから信頼の告白へと移り変わっています。その確信の言葉の中で13節の言葉が心に留まりました。「 主は必ず良いものをお与えになり、わたしたちの地は実りをもたらします 」(13節)。地は天からの陽、雨、風によって実を生み出します。天からの恵みが降り注がれて、実を生み出すのです。人もそれと同じであって、天からの恵みを日々、受け止めていくことによって、自分の人生と言う小さな花を、しかし美しい花を咲かせるのです。天からの恵みを受けずして実は結べないのです。

2月11日(火) 詩 編 86編1節~17節
   86編は旧約聖書の他の箇所からの言葉が多く引用されていて、いわば寄木細工のようにして作られている祈りの詩編です。11節の「 御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください 」という祈りは、ぜひ私たちの祈りとしたいものです。一筋の心、それはどんなときでも神に向かう心を言っているのでしょう。喜びの日も、悲しみの日も、試練の日も、罪を犯して落胆している日にも、いつも神に向かう心。決して神から逃げたりはせずに、神へと向かうのです。義人ヨブは、降りかかった数々の災いの日に、神に向かって嘆きました。神に向かって怒りを発しました。それは時として神に喧嘩を売っているような激しいものとなりましたが、いつも神に向かったことは一貫していました。涙を流すときも・・・。そしてヨブはいつしか自分が神の大きな御手の中にいたことを知りました。

2月12日(水) 詩 編 87編1節~7節
   この詩編は、シオン(エルサレム)の都が神の栄光に満ち溢れ、世界の中心的位置を占めるという希望を歌っているものです。イザヤ書の「 終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『 主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう 』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る 」(2章2節~4節)の預言のような響きを持っています。しかし今日のエルサレムには、このような麗しい情景を描くことはできませんね。怒りと悲しみと報復と絶望とが日々、地層のように積み重ねられている。それが今日のエルサレムです。でも私たちは希望を捨てません。「 いと高き神御自身がこれを固く定められ  」(5節)ているからです。

2月13日(木) 詩 編 88編1節~19節
   88編は詩編の中で最も悲哀に満ちた詩編で、通常、嘆きの詩編では、その嘆き祈りに、神が応えてくださるとの確信や感謝をもって終わりますが、この詩編は最後まで詩人の苦しみは和らげられず、詩人は死を予期するに至ります。「 わたしは若い時から苦しんで来ました。今は、死を待ちます。あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています 」(16節)。こんなことになったら私たちは絶望的になって当然でしょう。もし私たちがこの詩編にそれでもなお、希望を見出せるとすれば、それはイエス様の十字架を通して、この詩編を読むときだけでしょう。わが神わが神、どうして私をお見捨てになったのですか・・・と祈られたイエス様、主はこの詩人の苦しみを決して知らない方ではない。私たちのどん底よりももっと低いところから私たちを支えてくださる方、それが私たちの主です。

2月14日(金) 詩 編 89編1節~53節
   この詩編は感謝と賛美で始まり、嘆きで終わるという、通常の嘆きの詩編のパターン(嘆きから感謝、賛美に移る)と反対の流れになっている珍しい詩編です。しかし嘆きに終わるという特異な中にも大きな慰めが輝いています。「 彼らの背きに対しては杖を、悪に対しては疫病を罰として下す。それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず、わたしの真実をむなしくすることはない 」(33節、34節)。一度赦され、神の民とされた者を神は再び捨てることをなさいません。それが神の真実なのです。ローマ8章33節~39節を私たちは高らかに歌うことができます。

2月15日(土) 詩 編 90編1節~17節
   モーセの詩となっていますが、内容的にはモーセのものではなく、捕囚期に作られたものと考えられている詩編です。人生の教訓を歌っています。「 生涯の日を正しく数えるように教えてください 」(12節)。知恵ある心は、神の永遠の命(2節)に結び付けて、己が生涯の日を数えることを知っています。「 数えて見よ、主の恵み 」の賛美歌のように、私たちも永遠の命の神との結びつきにおいて恵みを数えることを知っています。そこでは不幸もまた恵みとして数えられるようになるのです。

2月16日(日) 詩 編 91編1節~16節
 11節の言葉が、イエス様の荒野の誘惑の出来事で引用されていることで有名な詩編です。信頼を歌う歌です。私たちも人生において様々な誘惑、罠に出会います。「 神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から 」(3節)とあるように、仕掛けられた罠とか、陥れる言葉からなどと言われると、もう怖くて歩けなくなってしまいますね。悪意のある人間が仕掛ける罠もあるでしょうし、サタンの仕掛ける巧妙な罠もあります。しかし「 神はあなたを救い出してくださる 」という信仰があるから、先行きの見えない人生を私たちは歩けるのです。神は、私たちが見破れない罠をちゃんと見ていて、私たちを守ってくださる方です。