2014年2月2日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  2月3日~2月9日

2月3日(月) 詩 編 78編1節~72節
   長い詩編です。この詩編は、イスラエルの民に対する神の導きの歴史を賛美し、感謝しているものです。その歴史は、厳密な年代の順序ではなく、出エシプト後の荒野の放浪、エジプトの災害、カナンへの旅、士師時代、ダビデ王国の順になっていて、神の導きが与えられていたにもかかわらず、民が神に背き続けたことが語られています。「 神に対してつぶやいて言った。『 荒れ野で食卓を整えることが、神にできるのだろうか 』」(19節)・・・すでに驚くべき神の御業を体験していながら、なおこういう言葉が発せられてしまう、そこに人の罪があります。これは他人事ではありませんね。私たちもキリストの十字架と復活の恵みをすでに知っており、今日に至るまでの神のご配慮を体験していながら、困難な状況に直面すると、つい神にできるかしらと、神の能力を疑ってしまうのです。しかしそういう神を私たちは信じているのでしょうか。いいえ、違います。神には何でもできる、のです。

2月4日(火) 詩 編 79編1節~13節
   この詩編は、神殿が汚され、エルサレムが廃墟になったときの祈りの歌、民族の嘆きの歌です。見渡す限りの廃墟、詩人の心はどんなにか押しつぶされそうになっていたことでしょうか。私たちも人生の廃墟を見させられるような経験をするでしょう。今まで自分がコツコツと積み上げてきたことが跡形もなく、崩されてしまう経験を。家庭が、仕事が、健康が、そして人生設計が・・・。しかし廃墟の体験は、神を土台として人生を築き直そうとするのであれば、その廃墟の経験は本当に良いチャンスなのです。神の愛を土台として築き上げられる人生は、倒されても倒れないしなやかさを持つ人生になるのです。マタイ7章24節以降を参照しましょう。

2月5日(水) 詩 編 80編1節~20節
   これは、敵の脅かしについての回復の祈りの詩です。「 御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください 」という言葉が3回(4節、8節、21節)、繰り返されています。この詩編の基調となっている言葉ですね。一度、二度、三度と繰り返される度に、その思いは募り、回復への切望は切実さを増していきます。この切実な祈りは、すでに神のもとにしっかりと届いています。神はこの祈りを聞かれます。なぜなら、「 あなたが右の御手で植えられた株を、御自分のために強くされた子を 」(16節)とあるように、あなたは神によって始まった者とされているからです。私たちも神によって始まった者ですから、たとえこのような切実な祈りを捧げなくてはならない状況に置かれても、そこで捧げられる祈りは神に聞かれるのです。

2月6日(木) 詩 編 81編1節~17節
   この詩編は、もともと2つの詩であったものがひとつにまとめられた、統一性を欠く詩編であると言われます。前半は、賛美の歌、後半は預言の言葉になっています。ところで、「 あなたの中に異国の神があってはならない。・・・わたしが、あなたの神、主 」(10節、11節)という節は、聖書全体のちょうど真ん中にあたるのだそうです。もともと聖書には章や節などの区切りはなく、後の時代に読みやすくするためにつけられたものなのですが、不思議ですね。これは、聖書の中心的メッセージに合致していますよ。あなたの人生という書物の真ん中/中心にも、この言葉が記されていますように。アーメン。

2月7日(金) 詩 編 82編1節~8節
   この詩編は、1節の「 神々 」をどう理解するかで、2通りの解釈が成り立ちます。神々を天井における「 天使たち 」と解する場合は、この詩は神中心とした天における天使たちの会議の歌となります。天使にも悪い天使(悪魔)がいて、それを神が裁いておられるという理解。もうひとつは「 神々 」を地上の王、為政者、裁判官を指すと考え、不正を行なう者が栄え、正しい者が苦しめられている状況に、真の支配者である神の裁きが下されることを求めているという詩であるとの解釈。私は後者の理解を採りますが、その場合、為政者たちが厳しく裁かれないよう、正しいことを行なえるようにと、とりなし、祈ることが私たちに求められていますね。

2月8日(土) 詩 編 83編1節~19節
   この詩編は、国家的危機に直面した時の共同体の祈りが綴られています。「 あなたの民に対して巧みな謀をめぐらし、あなたの秘蔵の民に対して共謀しています 」(4節)。秘蔵っ子という言葉がありますね。あの選手は監督の秘蔵っ子だ・・・なんて使われ方をします。そこには「 天塩に掛けた子 」、すなわち「 自ら面倒を見た子 」という意味があります。私たちは、神の被造物であると同時に神の「 秘蔵っ子 」なのですよ。毎週の礼拝での説教は、そのことに明らかにするものです。

2月9日(日) 詩 編 84編1節~13節
 神殿での礼拝を切望する心の巡礼の詩編です。はじめてこの詩編を読んだとき、私は4節の「 あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています 」の言葉に反応して、祭壇に鳥が住みかを作っちゃうなんて、管理不行き届きじゃないかと思ってしまいましたが、これは明らかに間違いですね。この言葉は比喩であって、鳥のような小さな生き物ですら、大いなる神の御翼の陰に身を寄せることを、神は受け入れ、大いに喜んでくださる方なのだと言う信仰の告白です。神は、小さなあなたにも目を留め、あなたがその人生で子育てをし、生きる姿を微笑ましく見守り、支えてくださる方なのです。私たちはその方の御翼の陰を拠点として生きているのです。