2014年1月5日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  1月6日~1月12日

1月6日(月) 詩 編 50編1節~23節
   この詩編は、ダビデ時代の音楽指導者アサフによるものと考えられています。神が裁きのために法廷を開く場面を思い描いたものです。「 それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって、お前はわたしの栄光を輝かすであろう 」(15節)。この聖句は2010年の成瀬教会の年間活動聖句でしたね。私たちが神を呼ぶのは、私たちが熱心であったり、正しい人間であるからというのではなく、呼ばずには生きていけない罪の弱さを抱えているからです。私たちが神の民であることのしるしは、何か特別な能力とか、正しさ、強さがあるというのではなく、その罪の弱さゆえに、日々、神を呼んでいるということなのです。しかし、その呼び求めに神は応え、ご自身の栄光を現してくださるのです。

1月7日(火) 詩 編 51編1節~21節
   詩編の中にある7つの悔い改めの詩編と呼ばれるものの一つで、最も有名な詩編です。2節の表題には、この詩の背景が短く説明されています(サムエル記下12章を参照)。もし人が人間らしく生きることを願うならば、その人は人間の悲惨を真剣に見つめなければならないでしょう。「 神よ、わたしを憐れんでください。御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください 」(3節)と祈らずにはおれない現実を、ダビデに限らず、すべての人間は持っています。そのことに気がつくのは、自身の限界を思い知らされ、打ち砕かれるような時でしょう。しかしそこで始めて、開かれて行く道があるのです。人間らしく生きるための道が・・・。神はそこに、新しく確かな霊、聖なる霊、自由の霊によって(12節~14節)を授け、その歩みを支えてくださいます。

1月8日(水) 詩 編 52編1節~11節
   この詩編は、富める力ある物が貧しく弱い者を苦しめている様を描いています。詩人は、その弱い者のようです。「 わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます 」(10節)。オリーブの木は地中3m~4mもの深さから水分を吸収するので、夏の乾燥期にも緑を保ち、安定の象徴とされていました。また、その栽培には長期にわたる平和を要するので平和の象徴とも考えられていました。生い茂るオリーブのように・・・・それは神の家にとどまり、命の源である神から日々、必要な糧を吸収し、神のご加護のもとに身を委ねるということなのですね。

1月9日(木) 詩 編 53編1節~7節
   この詩編は詩編14編ととてもよく似ています。「 神は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と 」(3節)。神は探される神です。神を求めて一生懸命聖書を読み、そして目覚めて祈る人を探されます。そういう人を祝福して、用いようと考えておられるのです。一方、神を捜し求めようとしない人たちもいます。「 神を知らぬ者は心に言う。『 神などない 』と 」(2節)。神を探し求めようとしない人間の腐敗は、心の中で始まるのです。それは周りの人には分からない領域です。しかし神はそこまで探し、分け入って、見つけようとされます。あなたの心の中にご自身を喜ばせるものがないかと・・。あの広大な宇宙から戻って来た小惑星探査機のカプセルに砂埃やガスがないかと探した人のように。

1月10日(金) 詩 編 54編1節~9節
   この詩編はダビデの詩編の中でも最も短いもののひとつです。2節の表題からはダビデがサウルの王に追われて隠れていたところに、ジフ人が居場所を通報するという緊迫した場面で詠まれたものであることが伺えます(サムエル記上23章19節参照)。とすれば、そういう間一髪の時に、ダビデは他の何かをなすのではなく、まず神を覚えて祈ったということでしょう。ダビデはいつも「 自分の前に神を置いていた 」のですね。いや、神の前に置かれていたと言う方が正確な表現でしょう。自分を神という彫刻家の前に置かれた大理石だと自覚しましょう。自分からは何事もなさず、彫刻家の思うがままに、お任せするのです。それが完成品への道です。

1月11日(土) 詩 編 55編1節~24節
   この詩編の詩人には、死にたいと思うほどの重荷があったようです。詩の多くの部分を嘆きと苦悩の告白が埋め尽くしています。そういうとき、私たちはその場から逃避したいと考えますね。詩人も逃避したいと考えました。そして彼は、神の御翼のかげに逃避するのです。そして「 あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる 」(23節)と自らに言い聞かせています。私たちは宅配業者に荷を委ねることがありますね。自分の手を離れた荷物をあとは業者がきちんと処理してくれるのを信じて待つだけです。神はあなたが荷を任せてくれるのを待っておられますよ。

1月12日(日) 詩 編 56編1節~14節
 56編は私の大好きな詩編です。特に9節のダビデの言葉に心を打たれます。「 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください 」。イスラエルの人たちにとって、革袋は砂漠を旅するときの必需品。今日で言えば、水筒のようなものです。あなたが荒野のような人生の旅の途上にあるとき、神は共に旅をしてくださり、ご自身の革袋に私の涙を一滴残さず蓄えて、それを飲み干して(共に味わって)くださるのです。あなたの人生の同伴者としての神お姿が告白されています。