2013年11月24日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  11月25日~12月1日

11月25日(月) 詩 編 8編1節~10節
  この詩編の詩人は、神の創造の御業の前に圧倒される思い(4節)で、「 そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは 」(5節)と告白しています。この詩編には、神と人間と人間以外の被造物という三者の間にそれぞれ一線が引かれていることを喜びとする信仰が告白されています。人が神との一線を乗り越えて、自分が神のように振舞いだすと、この喜びは失われます。人が動物との一線を越え、獣のように振舞い出すと、多くの人が傷つき、命が奪われ、この喜びが失われます。人間がこの喜びを保ち、真に健やかに生きる道は、それらの一線を越えずに踏みとどまることなのです。5節の心で生きること、それが私たちの求める姿なのです。

11月26日(火) 詩 編 9編1節~21節
  主よ、御名を知るものはあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない 」(11節)。もし、あなたが神に依り頼まないのであれば、それは神を知らないからです。神の神たることを知ったならば、どうして神に依り頼まないことがありましょうか。人が信仰の小ささを嘆くことがありますが、それは神を知ることの少なさに原因があるのです。私たちがその人を本当に知るようになるには、多くの関わりが必要です。神を知るというのであれば、なおさらです。「 あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は・・・」(マタイ7章11節)、主の言葉を思います。

11月27日(水) 詩 編 10編1節~18節
  主よ、あなたは貧しい人に耳を傾け、その願いを聞き、彼らの心を確かにし、みなしごと虐げられている人のために、裁きをしてくださいます 」(17節、18節)。神は心の貧しい人の祈りを聞いてくださいます。ならば、心の貧しくない人の祈りは聞かれないのでしょうか・・・・。いいえ、そうではありません。心の貧しくない人は祈らないのです。だから神がその祈りを聞こうにも聞けないのです。しかし自分の心の貧しさを知っている人間は、祈ります。祈れずにはおれないからです。人間関係でもあなたがある人にずっと声をかけないでいたとすれば、その人からは「 自分はあの人の中ではいないも同然の存在なのだ 」と思われてしまうことでしょう。「 どうしても祈れない 」ということはあると思いますが、それとは違って「 祈らない 」と言うことは、その人にとって神はいないのと同じなのです。

11月28日(木) 詩 編 11編1節~7節
  主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか、『 鳥のように山へ逃れよ 』」(1節)。困難な現実に直面するとき、私たちの心の中にひとつの誘惑が生じます。「 逃げてしまえ・・・」と。困難を前にして逃げ出してしまう・・・。それは、手っ取り早い解決方法に見えるかも知れません。しかし、問題を避けてそこから逃げ出そうとすればするほど、かえってその問題に縛りつけられ、苦しい思いになって行くものです。困難な現実から逃げずに、そこの中に踏み込んでいくとき、思わぬ形で解決の道が与えられます。主を避けどころとする人は、目の前の困難から逃げずに、そこで解決の道を与えられます。

11月29日(金) 詩 編 12編1節~節
  2節の「 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から信仰のある人は消え去りました 」という告白は、日本に生きるキリスト者が共感する言葉ですね。私たちは、「 信仰のある人は消え去りました 」と言わねばならないような社会に生きていますね。今は確かに、社会倫理が破れてしまった時代です。私たちはそういう時代に、信仰を持つ者としてこの時代に生を受け、生きています。それは、「 主よ、お救いください 」と言う祈りを、この世のすべての人を代表として祈るようにと、神から使命をいただいているということなのではないでしょうか。いちじくの木を呪って枯らしてしまわれたイエス様のお姿は、神の民イスラエルの中に信仰を持つ人を必死に探し求めておられた姿でしたね・・・・。

11月30(土) 詩 編 13編1節~6節
  いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか 」(2節、3節)。こういう「 いつまでなのですか 」という言葉を口にしたくなることがありませんか。待つことはとても辛いことです。しかし、「 待つ辛さ 」を知ったものは、もはや人を待たせることをしなくなります。「 いつまでなのですか 」と口にしたくなるとき、ちょっと立場を変えて考えてみましょう。神はこの私に対して「 いつまでなのですか 」と、待っておられるということを・・・・。そのとき、あなたの心で何かが変わります。

12月1日(日) 詩 編 14編1節~7節
 「 神を知らぬ者は心に言う。『 神などない 』と 」(1節)。私たちはこの言葉を幾度となく、隣人から聞かされたのではないでしょうか。しかし「 信仰がなければ神に喜ばれることはできません 」(ヘブライ11章6節)。魚は水の中であれば自由に生きられます。そのように、神に造られた人間は信仰の中でこそ、自由に生きられるようになります。信仰の外に飛び出してしまうとき、罪の力に束縛され、窒息してしまいうのです。ストウ夫人の『 アンクルトムの小屋 』のトムは奴隷でしたが、主人レグリーとは対照的に自由な生き方をしていましたね。