2013年10月13日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  10月14日~20日

10月14日(月)コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章5節~11節
  教会でつまずいた 」と言うことを聞く事があります。実際に教会は大小さまざまな悲しみを生み出すことがありますし、その原因を抱え込んでいるところがあります。そのような時にどう対処するかが教会の課題のひとつです。誰が何をしたのかよく分かりませんが、コリントの教会には罪を犯しパウロを悲しませることをした人がいたようです。それに直面してコリント教会のある者はおごりたかぶってその人を責めてしまったようです(6節)。人が犯した過ちをどう見るか?そこでの対処を誤るとサタンの落とし穴に落ちる危険があります(11節)。パウロは、罪を犯した人の罪に恵みをもって対抗できるようにしなさいと勧めます(7節、10節)。過ちに恵みをもって対処するには、自分は神の負債者であるとの意識が必要です。

10月15日(火)コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章12節~17節
  神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ 」(14節)という言葉が出てきます。当時の習慣として、戦争に負けて捕虜になった者は、勝利した軍隊の勝利の行進に捕虜として連なったのです。14節のパウロの言葉は、彼の体験から生れている言葉でしょう。彼はイエス様に反抗し、教会を迫害する敵でした。しかし、パウロの教会に対する憎しみはキリストの恵みによって打ち破られ、彼はキリストの捕虜となってキリストの勝利の行進に連なることになったのです。キリスト者とは、キリストに負けた人間のことです。敗北し、降参し、その結果キリストに服従することになった者です。今日もキリストはあなたに挑戦して来られます。「 愛してごらん 」と。キリストの愛に打ち負かされての服従は、暗くて重い束縛ではなく、<キリストの愛に負けた喜び>に突き動かれる不思議な服従です。

10月16日(水)コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章1節~3節
   パウロは、コリントの教会はキリストが書かれた手紙なのだ。しかも、その筆は神の霊に導かれて教会を開拓したパウロたちであったと語ります(3節)。教会はこの世に宛てて送られたキリストの愛と恵みがあふれたラブレターです。この手紙にはその教会に生きるすべての者たち、ひとりひとりのキリストの愛と恵みに対する証が書き込まれています。そしてその手紙を読み始めた者が、つまらないと言って途中で読むのをやめてしまうようなものではなく、自分もまたこの手紙に一文書き加える仲間になりたいと思うような素晴らしい手紙なのです。成瀬教会という手紙も新しい仲間が与えられ、さらにそのページ数を増やし行きたいですね。

10月17日(木)コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章4節~11節
   福音伝道者としてパウロは信頼に値するか?そういう不信がうずまくコリント教会に手紙を書き続けるパウロ。パウロは、伝道者としての資格は神から与えられたものであると語り(5節)、その務めに就く栄光を、律法を与えたモーセの務めと比較して語ります(7節~11節)。律法は人間を罪に定めることはできても救うことはできなかった。しかし福音は人を救う。それをパウロは「 文字は殺しますが、霊は生かします 」(6節)と表現するのです。栄光の福音が持つ力は、それを伝えるのにふさわしい資格のない者をさえ、生かして用いてしまうほどなのです。私たちは弱くても神の力によって生かされるのです。神様を頼りに今日を歩みましょう。

10月18日(金)コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章12節~18節
 「 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです 」(18節)。18節は、パウロが伝道者として生きているところで体験していることでしょう。律法学者であった時の自分と福音の伝道者として生きている今の自分を比べ、大きく変えられつつあるのを実感しているのです(その違いを覆いという言葉で表現している)。福音によって人が変わるのは、大病が癒されていく過程に似ています。毎日毎日で見るとそんなに良くなっているように思えないのですが、長い期間を経て見ると、確かに良くなり、癒されていたという感じです。それは聖霊の働きなのですが、決して劇的ではなくとも、確実なお働きなのです。

10月19日(土)コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章1節~6節
 私たちの人生は、神を信じていても、いなくても、落胆との戦いという面があります。問題は、そのがっかりしたところからどうやって立ち直るかでしょう。パウロは「 あの男は福音を曲げている 」(2節)、「 福音に覆いを掛けている 」(3節)とか言われ、コリント教会の人たちに伝道者としての信頼を傷つけられ、落胆したことでしょう。しかし、その中で再び立ち上がるのです。落胆なんかしていられないと。6節がパウロの支えになっているのです。「 闇から光が輝き出よ 」と命じられた神は、あなたが暗闇の中にあっても、そこに光を造り出すことのできるお方です。そのお方があなたの内にもおられ、輝いて下さる(6節)。秘訣はそこです。

10月20日(日)コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章7節~15節
 「 土の器 」(7節)という言葉が出てきます。これは、私たち人間を指しています8節、9節、土の器の特色は、途方に暮れたり、打ち倒されたりすることがあるということです。しかしまさにそこで、見捨てられない、滅ぼされないとパウロは語ります。これは、自分の力で頑張っている人の姿ではありません。滅ぼす力が妨げられるのです。虐げる力が妨げられるのです。私たちの内に主イエスが働いているからです。パウロが10節以降、繰り返して言葉を変えて語るのはその事です。