2013年10月22日火曜日


成瀬教会 <聖書日課>  10月21日~27日

10月21日(月)コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章16節~18節
  だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『 外なる人 』は衰えていくとしても、わたしたちの『 内なる人 』は日々新たにされていきます 」(16節)。私たちの肉体は日々衰えて行きます。しかし、キリストによって生まれ変わった私たちの霊、内なる人は日々新しくなって行きます。その新しい人の特徴とは何でしょうか。それは18節、「 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです 」。新しい人の特徴は、見えないものに目を注ぐまなざしを持っていて、そのまなざしに生かされている事です。あなたの目は、何を見つめているでしょうか。

10月22日(火)コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章1節~10節
   パウロは、滅ぶべき地上の体から離れて天に引き上げられる事を「 天の住みかを着る 」と表現しています(2節)。住みかと言うのは、私たちが安んじることができる場所と言うことでしょう。パウロは、地上の住みかである肉体をもって生きることは、重荷を負ってうめくような面があることを告白しています(4節)。しかし同時に「 わたしたちは心強い 」と2度も繰り返して語ります(6節、8節)。パウロには、やがて与えられるべき天にある永遠の住みかが見えているのです。だから重荷を負ってうめいても、「 心強い 」と言えるのです。パウロは信仰によって、永遠の住みかを見ています(7節)。私たちも聖書を読むときにその住みかを見ることができ、パウロのように「 心強い 」と言うところに立たせていただけるのです。

10月23日(水)コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章11節~15節
  わたしたちはありのままに神に知られている 」(11節)とパウロは語ります。あるカウンセラーの話しによると、カウンセリングを受けに来る人の9割が「 誰も私を分かってくれない 」との悩みを口にするそうです。自分をありのままに知ってもらっているほど幸いなことはないのです。私たちのすべてを良く知っているけれども、それで受け入れられていないならば、知られているということは苦痛でしかありません。しかし、神は私たちのありのままを知っていて、受け入れていてくださいます。そこに立つ時、私たちは、本当の意味で人を知るということもできるようになるのです。

10月24日(木)コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章16節~21節
 聖書が語る<罪>とは、神様とのかかわりを正しく整えることができないことです。神様を神として重んじることができないのです。罪の反対である<義>というのは、神様との関わりが正されることです。神様は、ご自分の方から和解/仲直りを可能にしてくださいました(18節)。しかも、神様の恵みはそこだけにとどまらず、和解のために奉仕する使者ともしてくださったとパウロは語ります。使者は「 神様と仲直りをしよう 」と、キリストに代わって語ることができます。新しく造られていることの新しさは(17節)、その仲直りの言葉を語れるようになったということでしょう。私たちもキリストの使者/大使とされていますよ。

10月25日(金)コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1節~10節
 パウロは、今日の日本の伝道者の想像もつかないような困難を経験しています(4節~8節前半)。しかし、そこでパウロは「 今や、恵みの時、今こそ、救いの日 」と言いました(2節)。これは伝道者に限らず、いかなる信仰者にとっても大切な知恵だと思います。今は恵みの時だと、よく分かるから耐えることができるのです。私たちにはすでに揺るぎない最高の恵みとして<救い>が与えられています。そこからすべてを見るとき、いつでも今は恵みの時となるのです。8節前半には、人に左右されないパウロの姿があります。自分は何によって生きるか、それをパウロ私たちにもここで語って見せているのです(7節)。

10月26日(土)コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章11節~13節
 心を広くしようとパウロは語ります。信仰に生きる人間は実にしばしば自分で心を狭くします。信仰においてうまくやれない人を否定するのです。しかも、それを神様によって与えられた狭さだと思うのです。それを打ち破るのはとても困難です。しかし、信仰の大人になるということは心を広くし、信仰が十分でない人とも共に生きられるようになるということです。自分の心を広くするには、神様の大きな恵みを自分の心に大きく受け入れることです。神様の大きな恵みが私の心に入るとき、自分の心もこんなに大きくなるのだという恵みの体験をします。私たちの心の広さが隣人の慰めとなり、喜びとなるように、パウロの呼びかけに対し心を開こう。

10月27日(日)コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章14節~7章1節
 「 あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません 」(14節)。パウロは、正義と不法、光と闇、キリストとベリアル(サタン)、信仰と不信仰と言った具合に言葉を重ね、それをまとめるように神の神殿と偶像に一致はない(16節)と言います。つまり、聖なる神に属する者が、汚れに埋没して生きることはできないだろうと言っているのです。私たちは神の神殿です。神の霊が私たちの内に住む。それほどに、神と私たちの関係は深いのです。聖なる神と深いかかわりにある私たちは、世の汚れに埋没して生きるのではなく、かつ世と隔離して生きるのでもなく、<聖別と連帯>という緊張関係の中に生きます。それは球体に打ち込まれた<くさび>のように一点において接するような立ち方なのです。