2013年9月30日月曜日


成瀬教会 <聖書日課>  9月30日~10月6日

9月30日(月)エフェソの信徒への手紙 5章6節~20節
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい 」(19節~20節 )。パウロにおいては、感謝の心と賛美の心は深く結び付いています。主への賛美は、人生を肯定できない心には湧いてこないものです。私たちは自分の人生を、この世界を肯定的に受け止めることに困難を覚えるかも知れません。自分の貧しさを思い、自分の弱さや取り巻く環境を思い、自分の回りに生きている「 愛する人たち 」の痛みや悲しみを思うとき、心が暗くなるのです。パウロもその痛みを知っていました。しかし、パウロは一番深いところで自分がすでに光の中に移されていることを確信していましたから(8節)、心の深いところで十字架を負いつつ、賛美を歌うことができました。

10月1日(火)エフェソの信徒への手紙 5章21節~33節
  パウロは、福音に生きる者が具体的な生活において、どのように生きるかを丁寧に語ります。その最初のものが夫婦の関係です。夫婦の関係というは、人間関係の基本です。そのような大切な関係をどう生きるか。パウロは、キリストと教会の関係を夫婦の関係に当てはめて語ります。キリストが教会を愛し、教会を生み出すためにご自身の命を捧げられたように、夫婦も互いに仕えあいなさいと(24節~25節)。大事な点はこれです。自分がキリストにしていただいた事と同じ事を、相手にしてあげると言うことです。キリストにしていただいた事を自分はどう受け止めているか?それが夫婦のかかわりにおいて問われているのです。これは厳しいことです。夫婦間ではお互いに遠慮がなくなりますから、自分をそのまま主張して、互いに突っ張って、受け入れられなくなるからです。だから、まず自分がキリストにその罪を赦していただくところに向かわないと、事は先に進まなくなります。

10月2日(水)エフェソの信徒への手紙 6章1節~4節
  日本の一番の問題は教育問題です。日本では今、「 両親に従うことが正しいことだ 」(1節)と言えなくなっています。子どもが両親に従えなくなる気持ちもよく分かるのです。両親を見ていると、どうしても軽んじたくなる誘惑があるのです。子どもの頃は見えていなかった親の欠点が次第に見えるようになるからです。問題はそこでなお、主に結ばれているというところに立つことです(1節)。主に結ばれている、つまり主に罪を赦されている者としてという意味です。自分が主にしていただいたことを思いながら、主にしていただいたように親に接するのです。それが出発点です。そのとき、親も子を怒らせるなということがよくわかるのです。

10月3日(木)エフェソの信徒への手紙 6章5節~9節
  ここでは、奴隷と主人の関係が教えられています。このような箇所から聖書は奴隷制度を容認していたと考える必要はありません。パウロは当時の時代的制約の中で語っているのです。「 彼らを脅すのはやめなさい 」(9節)。当時、主人たちは奴隷を脅してこき使ったのです。その根底にある考えは、奴隷は人間ではないというものでしよう。パウロは勧めます。あなたの主人であるイエス・キリストに仕えるように、あなたも自分の奴隷に接しなさい。奴隷を人間として、友情をもって扱いなさい。その心を信頼していっしょに働いてもらいなさいと言うのです。これは当時の奴隷の接し方とは全く違う接し方です。ここでも原点はキリストにしていただいたことを、自分もまたしてあげるということなのです。

10月4日(金)エフェソの信徒への手紙 6章10節~20節(Ⅰ)
  だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい 」(13節)。神の武具というのは神がお造りになったものだから、これを身に着けたら負けることはありません。それを神はすでに私たちに与えてくださっています。例えば、救いのかぶと(17節)とありますが、私たちは改めてそれをかぶらなくてもすでに救われています。つまり、ここでは神が造り、すでに私たちに与えて下さっているものを私たちが自覚的に、自分で手を伸ばして身に着けて、立つことが促されているわけです。私たちを救われた神は、ご自分の悪魔との戦いに参加するよう求めておられます。

10月5日(土)エフェソの信徒への手紙 6章10節~20節(Ⅱ)
 武具には、防御に使うものと攻撃に使うものとがあります。攻撃をするために与えられているものに霊の剣、すなわち神の言葉(17節)があります。イエス様は荒野で悪魔の誘惑を受けて戦われたとき(マタイ4章)、神の言葉をもって戦われました。伝道者パウロは、その神の言葉すなわち福音を伝える戦いのために、ぜひ祈ってほしいと言います。パウロを含めて、教会全体が戦いのために心を合わせて祈ったのです。私たちも互いに祈り合い、支え合いつつ、戦いましょう。

10月6日(日)エフェソの信徒への手紙 6章21節~24節
 パウロは「 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように 」と祈ります。愛は神から来る、すなわち神から与えられるものです。その愛は信仰の伴う愛だと言われています。それは変わらぬ愛です。永遠の次元の愛と言っても良いでしょう。人間的に見ると、主に倣って愛に生きることは何と損することが多いことかと思うかも知れません。しかし、死を突き抜けた永遠の次元において必ず実りを得る。それが変わらぬ愛です。