2013年9月1日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  9月2日~9月8日

9月2日(月)フィリピの信徒への手紙 3章1節~11節(Ⅱ)
 信仰を持つと、自分に対する見方、自分の人生に対する見方が変わります。以前のパウロは、生粋のユダヤ人であること、律法をきちんと守れるということの中に、自分自身の価値を見出していました。しかし今は、そのようなものにこだわっていたらかえって自分が殺されてしまうと思うほどに、それらのものを無意味なものと見ています(8節)。それは、「 キリストの内にいる者と認められるため 」です(9節)。9節の文は、「 キリストのうちに自分が発見される 」と、訳すことができます。パウロは、あの失われた羊のたとえのように、キリストの懐に抱かれている自分こそが、本当に価値ある自分自身の姿であることを発見したのです。あなたは本当の自分をどこに見ていますか?キリストの中?それとも自己の能力の中ですか?

9月3日(火)フィリピの信徒への手紙 3章12節~16節
 完全という言葉が12節と15節に出てきます。15節では、12節とは違う意味で使われていて、「 自分は十分ではない 」ことを知っている、その意味での完全を指しています。ソクラテスの「 無知の知 」に似ています。「 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです 」(14節)。パウロは、キリスト者は皆、神の召しに真剣に応えてひたすら走るのだと言います。ある婦人が教会での自己紹介で「 私は単なる主婦ですが 」と言ったのを聞いた牧師は、それは大きな間違いだと言って正されました。主婦として生きることもまた神の召しの中にあるのですから。あなたの召しは何?

9月4日(水)フィリピの信徒への手紙 3章17節~19節
 「 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです 」(18節~19節 )。キリストの十字架に敵対する者・・・この言葉を思うと、涙があふれてしまうパウロ。そうです。かつては、パウロ自身がそのような歩みのただ中にいたのです。そのような自分が主の憐れみによって救われたことを思うと、敵対者を非難する言葉ではなく、とりなしの言葉として「 彼らの行き着くところは滅びです 」と語らずにおれないのです。まだ信仰を持っていない家族や友人に対して、パウロと同じところに立って、とりなしの言葉を語りたいものです。

9月5日(木)フィリピの信徒への手紙 3章20節~4章1節
 「 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています 」(20節)。信仰者の本国、すなわち故郷は天にあります。だから私たちの最終の望みも、私たちの最大の喜びも天にあるのです。パウロは、自分の願いが世を去ってキリストと共にあることだと言っていました(1章23節)。人間の生活は、決して見えるところだけではありません。目に見えない信仰の世界こそ、人間の生活を支える力であり、まことの世界なのです( ヘブライ11章1節~2節参照 )。天を望みとしてこそ、地上の生活も確かなものとされます。あなたの望みは、どこに根差しているでしょうか?

9月6日(金)フィリピの信徒への手紙 4章2節~7節
 2人の婦人の名前が出ています(2節)。 教会の中でも中心的な働きをしていた人たちのようですが、激しく対立し合っていました。教会の働きに深く入り込むと、同じ信仰の仲間であってもうまくいかないことに直面します。かかわりが深くなると、難しさも出てくるのです。時には、この問題はどちらかが天に召されないと解決しないと思わされることもあります。しかし、パウロは望みを抱いて語ります。5節、「 広い心がすべての人に知られるようにしなさい 」。なぜ、争うのか?心が狭く、人を心に迎え入れることができないからです。あの人はいいけど、この人はだめと、除外したくなる。「 全ての人が、あの人から自分は除外されていない 」と感じることができるようにしなさいと言うのです。そこで大事なのは、感謝を込めて祈ることです。それは、神様が与えてくださっている状況を、そのままうなずいて、神様に対しても心を広げて受け入れるということです。解決への第一歩です。

9月7日(土)フィリピの信徒への手紙 4章8節~14節
 「 わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています 」(11節、12節)。何と魅力的な言葉でしょう。このことを全ての人が習い覚えたら世界はかなり変わるのではないでしょうか。パウロは、いろいろな境遇に自由に対処する秘訣があると言います。その秘訣は、「 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です 」(13節)。「 自分の置かれた 」とあるように置いてくださった方は、対処する力をも与えてくださるとの信仰です。

9月8日(日)フィリピの信徒への手紙 4章15節~23節
 パウロはフィリピの教会の人たちが自分のために物質的な援助をしてくれたことに感謝を表わしています。しかし、よく読んで見るとパウロの喜びは、フィリピの人たちがひとりの伝道者に対して、このような行為をするに至るまでに成長したことを神に感謝していることが分かります。17節の訳はあまり良い訳ではありません。直訳すると「 私が求めているのは、あなたがたの勘定を増やしていく果実なのです 」となります。パウロは、すべてのことを神との関係においてとらえているのです。19節の言葉は、心底、私たちを励ますに十分な御言葉ですね。