2013年8月26日月曜日


先週の説教要旨 「 私たちも復活する 」ルカ24章36節~49節
  今朝の箇所には、弟子たちが復活を段々と信じていく様子と信じてから復活の証人として派遣されることが記されている。復活の主が弟子たちの真ん中に立たれたとき、弟子たちは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。するとイエス様はご自分の手と足を見せられた。でも弟子たちは喜びのあまり、まだ信じられず、不思議がった。それでイエス様は焼き魚を食べてみせた。そして弟子たちに聖書を悟らせるために、彼らの心の目を開いてくださった・・・。繰り返し、繰り返し、弟子たちを復活の信仰へと導かれるイエス様のお姿が描かれている。このように、弟子たちが復活を信じることができたのは聖書が伝えるところ、イエス様が繰り返し、繰り返し、弟子たちに働きかけ、復活の事実に触れさせてくださったからなのである。マグダラノマリア、エマオ途上の2人の弟子、そしてトマス、皆,信じられないでいる彼らをイエス様の方から訪ね、彼らを信仰へと導かれたのである。復活の信仰は、私たちがああだ、こうだと考えて、論理的に納得できたから信じるとか、そういうことで生まれるものではなく、イエス様の方から私たちに近付き、私たちを納得させてくださるところに生まれるものなのである。だから、今私たちが復活を信じているは、イエス様が私たちをとらえてくださっているしるしなのである。

復活の信仰を与えられた弟子たちは、復活の証人として遣わされる。イエス様がなさった「 心を開く 」という御業をイエス様に代わって引き継がれる聖霊、父から約束された聖霊と共に遣わされる。そこで語る福音は、何よりも「 罪の赦しを得させる悔い改め 」である(47節)。罪が赦されることを語るのである。今の時代、人が本当に生きて行くために必要なことは赦しが語られることであると切に思う。主の十字架の死は、私たちの罪がもたらしたものだが、その死に打ち勝って主が復活されたということは、私たちの罪が完全に赦され、贖われたということを示している。復活の証人、それはあなたの罪が完全に赦され、贖われるという喜びの証言者なのである。宮崎駿監督の「 風立ちぬ 」という映画を見た。宮崎監督は、今迄ファンタジーの世界を描いてきたが、今の時代は、ファンタジーに逃げるのではなく、今の時代にしっかりと足を降ろした生き方を問うことが不可欠だという認識に立って、この映画を作ったと言う。ゼロ戦を設計した若い飛行機技術者とその妻の物語なのだが、主人公は子どもの頃から、より軽く、より早く、より美しい飛行機を作るという夢を持ってきた。そんな彼を支える妻は結核に冒されているのだが、彼を励ますために彼女は空気のいい高原の療養所を抜け出して、彼のもとに身を寄せる。それは彼女にとって自分のいのちを削ることを意味した。主人公はそんな彼女の存在に励まされて、挫折を経験しながらもついにゼロ戦の開発に成功する。でもその結果、彼女は死んでしまい、そして彼の作ったゼロ戦は多くの若者のいのちを奪う結果を生む。もしゼロ戦が開発されていなければ、日本はもっと早く降伏していたかも知れないのだ。この映画は、風立ちぬというタイトルだが、私はこの風は戦時中という「 時代 」を現しているのだと思った。戦時中という時代の風に翻弄されながらも、2人は支え合い、力を尽くして夢を追った。しかし時代の風は残酷で結果は悲しい結末となった。もし、時代という風が悪い風であるならば、どんなに美しく、夢を描いて生きたとしてもそれが最悪の結果を招いてしまうことが起こり得る。意図せずして、自分が加害者となっていることがある。その上で、あなたは今の時代をどのように生きるのかと、宮崎さんに問われているような気がした。神の息吹を受けた風がこの時代を吹き抜けるのでなければ、人間にとって本当の救いはないのではないか、そんな感想を持った。映画を見て思い起こした言葉があった。非行少年と呼ばれる生徒たちに、「 加害者としての自覚を持て 」と促し続けたクリスチャン教育者の言葉である。非行少年たちは皆、被害者意識を強く持っている。自分は親のせいでこうなったのだと思っている。だが、自分は加害者だという意識を持つところからあなたたちの立ち直りは始まるのだと促すのである。これは非行少年に対する言葉にとどまらず、すべての人間にも向けられている言葉ではないかと思う。人は皆、被害者気分で生きてしまいがちである。でも同時に加害者でもあることを忘れてはいけない。意図のあるなしにかかわらず、自覚のあるなしを問わず、私たちが生きていること事態、絶えず何らかの意味で加害者になっているのだ。人は皆、誰かを踏み台にして生きている。加害者である自分を心から悔いる思いを持って欲しい・・・と。しかし聖書は罪を悔やんでいるだけではダメなのだと言う。その罪人である、私たちに心を開いていておられるキリストを見ることが大事なのだと言う。私たちのことを、私たちよりももっと深く理解し、受け入れ、神の子としてくださっている方の御業を知ること。そこに立てと。イエス様が託された福音は、時代の風に飲み込まれて、意図せずとも加害者となって生きてしまう、そういう私たちの罪が、この方の赦しに与ることができるという知らせ。その歩みのすべてがこの方によって赦され、贖われるという知らせ。復活の信仰に基づく完全な赦しなのであるから。だから、私たちはこの時代の中で、生きるべき勇気、次の世代へと伝えるべきメッセージを持つのである。 (2013年8月18日)