2013年7月16日火曜日


成瀬教会 <聖書日課>  7月15日~21日

7月15日(月)コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章31節b~13章3節
  山を動かすほどの完全な信仰(2節)という言葉に心惹かれます。それは、イエス様が弟子たちに求められた信仰でもあります(マタイ17章20節)。しかし、そのような賞賛に値するほどの信仰であっても、愛がなければ無に等しい(2節)。愛なき献身というものがあると言うのです(2節~3節)。ただ自分を誇るための献身です。パウロは、誰かを指して「 愛なき献身 」を語るのではなく、「 わたし 」(1節、3節)を問題にしながら語ります。誰も自分には愛があると主張できない現実を抱えています。だから熱心に願い求めようと言うのです(31節a)。愛は他の賜物と違って、誰にでも等しく、豊かに、神から与えられ得る「 賜物 」だからです。

7月16日(火)コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章4節~7節
  Ⅰコリント13章は、愛の賛歌と呼ばれています。ここには「 愛のしるし 」が一杯、並べて語られていますね。忍耐強い、情け深い、ねたまない・・・いらだたず、恨みを抱かない。愛の業がいつでも理解され、受け入れられるのであれば、それは容易な業となるでしょう。しかし、愛は誤解され、曲解され、ときには裏切られ、損な生き方をしているようで、馬鹿らしく思えてしまうことさえ、あります。だから、愛はいらだちとなり、恨みとさえ、なるのです。そうやって私たちの愛は、挫折します。しかし神の愛は、挫折しません。背かれても、裏切られても、神は愛を差し出してくださいます。私たちはそういう愛だからこそ、救われるのです。

7月17日(水)コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章8節~13節
 「 信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である 」(13節)。人間の願望は、いつまでも残る、つまり、いつまでも続くということにあるように思います。若く、健康であり、仕事を続けられる身でありたい、今、手に入れている地位を失うことなく存続させたい、愛する家族や友人との関わりを失いたくない。しかし、それらのものは決して人間の願い通りに存続することはありません。病気になったり、愛する者が死んだり、仕事を定年したりして、存続が断たれる時が来ます。そして、深い悲しみに襲われるのです。しかし私たちは、断たれることのないこれら3つのものを基盤として生きます。そのとき、存続していたものが断たれる悲しみさえも乗り越えさせていただけます。

7月18日(木)コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章1節~19節
 コリントの教会では、異言の賜物の用い方で大混乱を招いていました。霊の賜物のひとつである異言は、一般の人には理解できない言葉です。語っている者にも分からない場合もありますが、それでも語っている者は神との深い交わりを体験することができます(2節)。これに対して、「 預言 」というのはここでは説教と考えて良いでしょう。パウロは、はっきりと、異言よりは預言の方が上だと語ります(5節)。それは、異言はそれを語る人だけを高めますが、預言は教会のすべての人を高めることができるからです(4節)。問題の核心は、自分の益だけでなく、教会全体を高めることになるか?です。自分の願い通りになったとしても、そのことがキリストの体である教会を建て上げるのではなく、かえって教会をバラバラにしてしまうことがあります。主よ、ゲツセマネのイエス様の思いにとどまらせてください。

7月19日(金)コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章20節~25節
 私たちの目指す礼拝の姿がここに記されています。すでに信仰を持つ者たちに入り混じって、未信者の人たちが預言(今日で言う説教です)の語られる礼拝に出ています。預言の言葉に打たれるようにして礼拝している人たちの中にあって、預言の言葉が未信者の中に深く分け入り、その人の罪が指摘され、そこから遠ざかろうとするのではなく、かえって神の前にひれ伏し、信仰を告白するに至ると言うのです(24節、25節)。語られる言葉だけではなく、説教を聞いている者たちの姿を通しても、悔い改めの心が引き起こされるというのです。礼拝における伝道は、礼拝者全員の業です。礼拝しているあなたも、御霊によって伝道に用いられるのです。

7月20日(土)コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章26節~40節
 コリントの教会の礼拝は、私たちが行う礼拝とは違って礼拝の中で何人もの人が語ったようです。しかし、われ先にと、皆が競い合って語ろうとしたため、一人が語っている間にもう一人が語り出してしまうなど、無秩序になっていたようです(27、30節)。特に、ご婦人方にそういう人が多かった(34節~36節、これはコリント教会のそういう事情から語られたもので一般原則ではありません)。パウロは、神は無秩序の神ではなく、平和の神だ(33節)と語ります。私たちは、自分の生活の中に神の言葉をきちんと聞く秩序を造っているでしょうか。それは私たちの生活の中に神の言葉に生かされる自由と喜びのある秩序を生み出してくれますよ。

7月21日(日)コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章1節~11節
  コリントの教会では、復活を信じない人たちがいました(12節)。そこで、私が伝えた福音は「 キリストの十字架と復活であった 」と、パウロは語ります(3節、4節)。そして、キリストの復活の証人の名前をあげる中(5節~7節)、自分もその一人とさせていただいた感動から「 神の恵みによって今日のわたしがあるのです 」(10節)という有名な言葉を語りました。キリストの復活は、「 この私 」のために起こったこと、私の命そのものにかかわること、とパウロは語ります。キリストは、それほどに私たち一人一人の人生、命に深く関わってくださる方なのです。今日もキリストが深く関わってくださっている「 あなたの一日 」が始まりますよ。