2013年7月16日火曜日


先週の説教要旨 「 わたしを思い出してください 」 ルカ23章32節~43節

この礼拝のあと、教会全体研修会を行ない、『 成瀬教会葬儀の手引き 』を共に学ぶ。この冊子は自分の葬儀に向けて、なすべき準備をしておこうという思いから生まれたものである。自分の葬儀に備えることとは、自分の死と向き合うことを意味する。一昔前は、自分の死に備えることは「 縁起でもない 」と言って敬遠されたこと。しかし神を信じている人間は、自分の死と向き合うことができる。「 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです 」と、詩編23編の詩人が告白したように、私たちは「 主が共にいてくださる 」という支えによって、自分の死と向き合うことができるようにしていただける。では「 その支え 」とは、いかなる支えであるのか、それを今朝の聖書から聴きたいと願う。

この箇所には、イエス様と共に十字架につけられ、処刑される2人の犯罪人のことが書かれている。彼らはまさに自分の死と向き合っている人間である。この当時、十字架につけられるということは「 重罪人 」として処刑されることを意味した。人々から「 もう二度と、この世に生まれてくるな、お前みたいな者は思い出したくもない 」、そう言って殺されることを意味した。人々の記憶から抹殺され、死を迎えようとしている時に、2人の犯罪人のうちのひとりは言った。「 イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください 」。するとイエス様は「 はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる 」と言われた。つまり、「 わたしはあなたのことを思い出す 」と言われたのである。彼の救い、死後のことは、イエス様がこの人を思い出してくださるという、その一点にかかっている。この犯罪人は、イエス様に「 私はあなたを信じます。私はいつまでも、あなたのことを覚えています 」と言ったか。あるいは自分の罪を悔いて激しく泣いたか。長々と自分の悔い改めが確かであることを証明しようと言葉を重ねたか。そういうことは少しもしなかった。彼がしたこと、それはただイエス様におすがりするということだけだった。彼にとって、自分がイエス様を覚えているかどうかは、二次的な問題であった・・・。自分がいつまでもイエス様のことを覚えている、信じている。そうやって自分の生涯を走り抜くことも確かに大事なこと。しかしそれは二次的なことに過ぎない。それよりも決定的なことはイエス様が自分を思い出してくださるか、どうかなのである。そこに自分の救いがかかっているし、死んだ後のことがかかっている・・・。この犯罪人は神の御前に何ひとつ誇れるような歩みをして来なかった。それがこの十字架刑という結果を生んでいるわけだが、そういう彼は私たちとは別人なのであろうか・・・。否、聖なる神の御前では、私たちもこの犯罪人と同じなのである。誰が聖なる神の御前に「 自分は胸を張って誇ることができるような生涯を送ってきた 」と言えようか。誰が聖なる神の御前で、罪ある者に石を投げつけることができようか・・・・。聖なる神の御前には、私たちがどのように歩んだか、という「 功績 」など全く誇ることなどできない。しかしたとえ私たちが神の御前に恥じることばかりの生涯を送ってしまったとしても、イエス様は、「 お前のことなんか、忘れた。知らない 」などとは決しておっしゃられない。ご自身によりすがろうとする者を覚えていてくださる。

 もうひとりの犯罪人は、「 他人を救ったのに、自分を救うことができない 」と言って、イエス様を嘲った。イエス様の十字架の意味を知っている者にとっては、これは嘲りというよりも、むしろ最高の賛辞、讃美の言葉にしか聞こえないのであろう。「 他人を捨ててまで、自分を救おうとする 」私たちとは正反対。よりすがる者を、自分を犠牲にしてでも救ってくださる。だからイエス様を信じる者は、失望することはない。41節の「 しかし、この方は何も悪いことをしていない 」の「 悪いこと 」は、原文ギリシャ語では「 場違いな 」という意味。イエス様が十字架の上で2人の犯罪人と並んでいるのはまさに場違いなこと。けれどもイエス様は、そこに身を置き続けられる。降りてしまわない。自分を犠牲にしてでも、私たちを救うために・・・。イエス様を十字架につけた人たちは、自分たちのやりたいようにイエス様を扱った。服を剥ぎ取り、嘲り、つばを吐きかけて、ユダヤ人の王と言って散々、愚弄した。イエス様のことを自分たちの思うままに扱うことができた。ただひとつのことを除いて。そう、彼らはイエス様に憎しみの心を抱かせ、「 父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです 」という祈りの言葉を、撤回させることはできなかったのだ。「 もうお前たちのことなんか、思い出したくもない。顔も見たくない。たとえ、覚えているとしても、それは憎しみの対象として覚えているに過ぎない・・・」、そう言う言葉を吐かせることはできなかった。どこまでも、他人を救い、自分を救わない姿勢を貫かれた。そこにこそ、私たちの望みがある。作家の大江健三郎さんは、原爆の悲惨さは、自分の死を覚えてくれるはずの人たちも皆、一緒に死んでしまったことなのだと言った。しかし私たちには、私たちのことをいつまでも覚えていてくださる、思い出してくださる方がいる。私たちはその方の御手の中に置かれているのである。2013年7月7日)