先週の説教要旨 「 墓が新しくなる 」 ルカ23章50節~56節
神が準備されていた、このアリマタヤ出身のヨセフ、彼は必ずしも「
強い信仰 」の持ち主ではなかった。彼がした奉仕は「 弱さなしの奉仕 」ではなく、「 弱さを抱えたまま 」の奉仕であった。ルカは彼のことを「 善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった
」と紹介している。「 同僚の決議や行動には反対していた 」というのではなく、「 同意しなかった 」と言う。ヨハネ福音書は、そのことを「 イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた
」、「 議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである
」と記している。「 同意しなかった 」というのは、明確に反対意見を述べていたということではなく、反対も賛成も表明しない、棄権して結果的に賛成票として扱われなかったということなのだろう。しかしこの煮え切らない分裂状態、弱さを抱えたままものヨセフを、神はここ一番というところで、ご自身の御業のためにお用いになる。ヨセフは、「
まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓
」を提供した。おそらく自分のための墓であったのだろう。墓、そこは「 もう、これでおしまい、ここにはもう何も期待することなどない。すべてが終わってしまったのだ 」という場所でしかなかった。キリストが復活なさるまでは・・・。主が復活なさるとき、墓は終わりを意味しなくなり、新しい命への旅立ちの場になる。墓は新しい意味を持つ場所に変えられてしまうことをヨセフは知らなかった。そこでも、神は一番期待できないと思われたところから最も大いなる恵みを引き出されるのである。(2013年7月21日)