2014年3月9日日曜日


成瀬教会 <聖書日課>  3月10日~3月16日

3月10日(月) 詩 編 113編1節~9節
  113編から118編までは、「 ハレル 」と呼ばれ、過越、仮庵などのイスラエルの大祭のときに歌われたようです。「 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ、主の御名を賛美せよ 」(1節)という言葉から始まっています。主の僕とは、主に仕える者のこと、主に仕える者が主をほめたたえるのです。主に仕える者が、神をたたえ、仕えない者がつぶやくのです。賛美は仕えているか、否かを自己判断させてくれるリトマス試験紙でもあります。「 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き、なお、低く下って天と地を御覧になる。 弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ 」(5節~7節)。主は私たちよりはるかに高い視座を持ち、はるか遠く、私たちの将来をも見渡すことができます。その視座から低く、低く降り、地を這うようにして生きている、この世の最も低きにいる者の現実を同じ目線になってご覧になって、そこから高く引き上げてくださるのです。

3月11日(火) 詩 編 114編1節~8節
  「 イスラエルはエジプトを、ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り、ユダは神の聖なるもの、イスラエルは神が治められるものとなった 」(1節、2節)。イスラエルは脱出しなければなりませんでした。エジプトのしがらみから脱出し、独立して、自分の道を歩き始めたとき、彼らは神の民たる使命を果しえたのです。信仰は日常生活の中に埋没して行く自分が絶えず引き出されていく経験です。「 岩を水のみなぎるところとし、硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に 」(8節)の「 」とは、私たちの心のことを暗示するものだと思えてなりません。主は私たちの岩のように渇き切った心を、水、すなわち涙にあふれる心へと変えてくださる方です。十字架を仰いで涙する心に、感謝する心に変えてくださいます。主の十字架を見て露ほどにも自分の罪を覚えず、悔いる涙を知らなかった心を・・・・。

3月12日(水) 詩 編 115編1節~18節
  「 偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる 」(8節)。人はその理想とするところに化して行きます。偶像により頼む者は、偶像と化して行きます。それは「 耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない 」(6節、7節)状況を意味します。神が与えられた器官を有用に用い得なくなるのです。しかし人が理想とする者に化すというのは、イエス様との関係においても真理なのです。主により頼む物は主の御姿に変えられて行きます。だからこそ、詩人は「 イスラエルよ、主に依り頼め 」(9節)と連呼しているのです。私たちは、その言葉よりも、生活や振る舞いによって、より多くのことをなすことができるのです。

3月13日(木) 詩 編 116編1節~19節
  「 わたしの魂よ、再び安らうがよい。主はお前に報いてくださる 」(7節)。人の心は何と忙しいことでしょう。目覚めてから眠りにつくまで、意識ある間中、あの事、この事、心配の去来は後を絶たず、洪水のように押し寄せて来ます。人は真にはかなく、心がかき乱されることで一杯です。故なき中傷、いわれなき誤解、明かせない真実、悔しさ、悲しさ、情けなさ、加えて予期せぬ事故や病気、二重三重の不安の波にさらされます。そこで自分の魂に全き安らぎを取り戻すことができるでしょうか・・・。詩人は、次々と襲い来る不安の中で魂がズルズルとアリ地獄の底に引き込まれるように不安の底なし沼におぼれかけ、万策尽きて再び天を仰ぐのです。そして思いを主に向けます。全き憩いは、主を離れてどこにもありません。

3月14日(金) 詩 編 117編1節~2節
  詩編の中で最も短い詩編です。「 すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。主の慈しみとまことはとこしえに、わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ 」(1節、2節)。短い人生が大きな語りかけをすることがあるように、たった2節からなるこの信仰の詩も、大きな語りかけをしています。パウロはローマ15章11節、隣人を受容することを説く箇所において、この1節の言葉を引用しています。パウロはキリストの愛にあって、「 すべての民 」に希望を見出したのです。世界という人間関係は絶望的です。しかし2節をかみしめてみましょう。

3月15日(土) 詩 編 118編1節~29節
   詩編118編は主にある勝利の歌です。1節~4節を見て分かる通り交唱歌です。「 蜂のようにわたしを包囲するが、茨が燃えるように彼らは燃え尽きる 」(12節)。幾重にも敵に包囲されているそのただ中で、詩人は踏みとどまると告白しています。それは、意志が強いからではありません。ただ神にすがってひたすら立っているだけなのです。しかしそうしている間に、包囲はやがて崩壊して行くのです。「 主の御名によって・・・ 」(12節)、それは、主の力の現れによるのです。

3月16日(日) 詩 編 119編1節~8節
 詩編119編は、117編とは反対に、詩編の中で最も長い詩です。176節まであり、8節ずつ、22の部分に分けられています。ヘブライ語の22のアフファベットに合わせているのです。8節ずつに分けられた部分は(アレフ)という文字の部分ならば、その8節はすべてアレフの文字から始まるといった力の入れよう。しかも8節からなる部分はすべて、神の言葉(律法、命の言葉、教えなど表現は多種多様)をテーマとしていて、かなり技巧的な詩です。これから毎日8節ずつ読んで行きます。主の御言葉に聞くことに集中したマリア(ルカ10章)のように、一大長編の根底を流れ続ける「 御言葉を求める信仰 」を味わいましょう。