2014年12月14日日曜日


先週の説教要旨「 良心に従って生きて 」使徒言行録22章30節~23章11節 
  『 スタンド・バイ・ミー 』という映画がある。「 私のそばにいておくれ 」という意味だ。この物語の主人公は、少年の頃、3人の親しい友がいたが、皆、家庭環境は幸福ではなく、心に傷を抱え、将来に期待を持てないでいた。ある日4人は、死体探しのたびに出る。3日前から行方不明になっている少年が、30キロ先の森の奥で、列車に跳ねられ死体のまま野ざらしになっているとの話を聞き、その死体を見つければ有名になる。英雄になれると思ったのである。途中、喧嘩もするが助け合いながら、鉄道の線路に沿って冒険のような旅を続ける。夜は森で野宿をし、彼らは自然と今まで心の内に秘めていた誰にも言えなかった悩みや悲しみを互いに打ち明けあう。そして、友の存在に支えられるというかけがえのない経験をする。この物語は、人には「 側にいてほしい 」という心の叫びがあること、そしてその叫びを聴いてくれる友がいてくれることの大切さを伝えている。しかし人はそれをどんなに強く願っても、その叫びには応えきれない面がある。物理的に、あるいは人の弱さと能力のゆえに・・・。今年の6月に息子が入院し、手術を受けた。両親が病院を離れているとき、担当の看護師から電話があった。何か良くないことが起きたかと動揺したが、「 息子さんがご両親のどちらかが早く病院に来て、そばにいてほしい 」と言っていますとの電話だった。私立ち夫婦はできるだけ、その願いに応えようとしたが、さすがに手術室の中までは入って行くことはできなかった。私たちは隣人の悲しみ、痛み、不安を支え、励ましてあげたいと強く願っても、側にい続けてあげられない限界を抱えているのである。そうであればこそ、どんな時、どんな場所、どんな状況にあっても、私たちの側にいてもらえる友を持つことが必要で、聖書はそのような友こそ、主イエス・キリストなのだと教えている。

今朝の使徒言行録第23章11節は、パウロが体験した出来事を記している。「 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『 勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証したように、ローマでも証をしなければならない 』」。「 主はパウロの側に立って 」というところを英語の聖書で読むと、The Lord stood by him となっている。パウロは厳しい試練のただ中で、スタンド・バイ・ミーという祈りを主に捧げていたことであろう。その切なる叫びに応え、イエス様はストゥド・バイ・ヒム、パウロの側に立って、パウロを真に力強く支えてくださったのだ。今年一年、イエス様は、あなたのどのような「 主よ、私の側にいてください 」という祈りを聴き取ってくださったことだろうか・・・。息子が手術室に送り出されたあと、手術室の前に座っていた私たちの前に、知人の牧師が訪ねて来て、ひと言、祈って帰って行かれた。彼は祈るためにわざわざ来てくださったのであるが、主が「 わたしが彼の側にいる  」ということを私たちにお示しくださったのだと受け止めた。主は私たちの行くことのできない所であっても、彼のそばにいてくださったのである。

 今朝の箇所を見ていると、パウロは「 こんな男は地上から除いてしまえ。生かしておけない 」と人々から非難され、ののしられているにもかかわらず、その困難な状況に対して、余裕のようなものを感じさせる。大祭司アナニヤの前で、「 あくまでも良心に従って神の前に生きてきた 」と言うが、これはパウロの敵になってしまっているあなたたちは、神の御前に反良心的になってしまっているという勇気ある発言である。余裕がなければこうは言えまい。さらにパウロは議場を見回して、サドカイ派とファリサイ派の議員がいるのを見ると、双方が意見を異にする死者の復活の問題を発言し、わざと議場を混乱へと導く。慌てた千人隊長はパウロをその場から引き離させる。パウロの狙い通りになったのだが、この状況にしてこの余裕ある対応には驚きを禁じえない。ユーモアさえ、感じられるではないか。この余裕は一体、どこから来ているのだろうか。『 キリスト教とユーモア 』という本の中で宮田光雄氏は、イエス様やパウロの笑い、ユーモアを例示しながら、神の恵みの下に究極的な神の勝利の実現を信じることで、今生きている現実の幸不幸を、一定の距離をおいて眺めることができる。そういう精神的な態度をもって生きる中で生まれるのがキリスト教的ユーモアなのであると言っている。それによれば、パウロのユーモアさえあふれる余裕の対応は、神の究極的な勝利を信じる信仰、その勝利者が自身のそばにいてくださっているという信仰から生まれていたものなのである。

 受付のラックの中に伝道用に『 こころの友 』という小紙を置いている。イエス様こそがあなたの心の友、そのイエス様をご紹介するという目的で発行されているものであるが、12月号は「 しあわせ難病生活を伝えたい 」というタイトルで、大橋グレース愛喜恵さんの証が掲載されている。不思議なタイトルと思われるかも知れない。難病生活としあわせは本来、結びつかないものだから・・・。彼女は病のために手にしていた柔道北京オリンピックアメリカ代表の権利を失う。そればかりか、相次ぐ体の不調に苦しんでいる。胃ろう、てんかんの発作、記憶障害、感覚麻痺、呼吸器も外せない。しかし、NHKの番組『バリバラ』のスタッフとして充実した難病生活を送っている。それは「 主が彼女のさばに立っていてくださるから 」という恵みが造り出した奇跡としか言いようがない。                                           (2014年12月7日)